トップページに戻る    ■小説「空海1200年の恋道」(C)

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■四国八十八ヶ所遍路体験に基づき、小説「空海1200年の恋道」(C)を熱い気持ちのうちに今日より連続下書き執筆し、 この場にて当日の執筆文を日々区切り連載いたします。

第1回(2002/03/24)
誰かが待っている、誰かに呼ばれたかのように夜明け前のベッドを抜け出た。 いつもの仕事着を身にまといエプロンをし時計と財布と携帯電話を持ちリュックを背負い北へと歩き出した。 無我夢中で歩き続ける長靴の足は痛み始め、小石を挟んだかのように足の裏でごろごろ 感じる。ふと立ち止まると横断歩道橋が私を誘っていたので右足より上り始めた。1234・・ と22まで数え上ったとき東の空がオレンジ色に光り、そして西の空が紫色に光り、南の空が青色に光り、 北の空が赤色に光り、真上の空が強烈白色に光った途端に私の五体は引っ張られ、フワッと浮かんで ストンと鉄の歩道橋からあぜ道にかかる丸太3本の橋の上に跳んでいた。 この日まで25年働きづめ、今日も平凡な一日が始まるはずだった。朝遅くの昼前に起き妻に「おはよう」 の挨拶をしパソコンに向かって定型業務をこなし、弁当を配達し、食材を仕入れ、また定型業務を こなして仕事を終え3人の子供たちを交え雑談夕食しテレビを見て遅い風呂に入り夜遅く寝る。 たまにちょっとした売上があるとささやかな外食に行くぐらいのごく平凡なおじさん、いや、おっさん 状態に知ってか知らずか陥っていた。映画タイタニックを見て涙ぐむのが遠くの夢の世界だと 思っていた。そのタイタニックな世界がハリーポッタを交えて、しかも時空を超えて、スリルと純愛を 引き連れてこの身体に訪れようとはたまらない感動の世界である。 その丸太3本の橋の先の景色は見なれた景色とは全然違っていた。空は真っ青に澄み切っているが、 いつもならどこでも見かける看板や電柱がないし、街並みが感じられないのである。 おかしいので夢でも見ているのではと頬をつねるが痛い。おかしいおかしいと今度は髪を引っ張るが やはり痛い。痛い、えっ!痛い、痛いと感じたということは、えっ!、髪の毛がふさふさになっている のである。しかも痩せてスマートになり、手足が長くなり八頭身になっている。 前に連なる山々を見て、こっこれはと驚いた。見覚えのある阿讃山脈だ。でも私の知っている街並み がない沼地と雑草の世界である。確かここに線路が通っていてキョーエイスーパーがあったはずだが 何もない、ないのである。とにかく山の方へ歩いて行く。粗末な十数軒の集落とやや立派な建物が 見えてきたので足早に、しかし恐々進み、その近所に寝そべっていた人に「ここはどこですか」 と訪ねると「堀江寺じゃ」と返ってきた。私が知っているここには種蒔大師がある。 続けて恐々いろいろ話しをするうちに、どうやら大師の時代に舞い戻ったようだ。いわゆるタイムスリップ である。商売を活気よくやっていたころ、よく今の知識と商品を持って昔に戻れたら大儲けだなんて 冗談で言っていたが、現実にその昔にいるが冗談は飛んで消え失せている。私の格好をじろじろ見て 「どこから来なさった」と聞かれたので「南のまゆやまのふもとから来ました」と答えると「それは 遠いところから・・、で何しに来なすった」と問い直され、困り、たまたま昨日佐藤の種物屋でサンプル で貰いポケットに入れていたえんどうの種とこしひかりのもみとを見せ「これを広めに植えに来た」と 耕作方法説明して、カラー印刷された種袋をもの珍しそうに両手で拝みながら受け取ってもらった。 またこの地は梨なども適しており、次に来たとき苗を差し上げようと約束した。 ここのお寺の人は不在だというので、お経だけ唱え後にした。この時代にこしひかりなんて無かった のにと思いながら山沿いを西に歩く。21世紀の時代には舗装道路だったが、今歩いている道は 道なんてもんじゃなく腰丈ほどの草むらをかきわけ歩いていく。舗装道路は歩きにくいので地道がよい なんて言っていたが、この時代から見るとその地道は高速道路に見えるに違いない。坂東村に入って から私の姿を遠巻きに見る人が増え、笑顔で「こんにちは」と挨拶するとさっと逃げる。お接待なんて まるでない。そうだろう、粗末な家とやっと食べている状態にしか見えない人々からみればユニクロの 仕事着姿は宇宙人に見えるだろう。私も小学生のころ当時あか抜けた格好いい外国白人を見て固まって しまった経験がある。ローソンも自販機もない草むらの道を大麻山の方へと進む。おかしな表現だが まばらに50軒ほど散った集落の奥にやや立派な寺らしき建物が見えた。寺敷地という境界はなく 草むらの延長という感じで入る。
第2回(2002/03/25)
真っ直ぐ本堂に向かった、と言うより建物は一つしかなかった。その本堂は開けっぴろげで中央に ポツンとご本尊様がすぐ触れられる位置にあった。手を合わし経を唱えていると人の気配が奥でする。 一間しかない部屋のご本尊奥の薄暗い隅で住職は居た。生活はご本尊といつも一緒のようだ。 うたた寝だったのか目をこすりながら「どなたかな」と聞いた。「旅の者です、一夜の宿を願いたい」 と申し出ると「修行の者じゃな、よかろう、ご本尊の前で休みなされ」と言われまた寝られた。 まだ日があるので付近の散策に出た。鯉の泳ぐ池はないし遍路用品グッズのある納経所もない。 門前一番街もなければ民宿阿波もない。裏山の大麻山だけは同じ形だなと見ながら、左手にドイツ館、 正面に大麻比古神社もない。あるのは粗末な集落の建物とそのまわりの草の繁っていない少しの平らな 農地らしきものだけだ。その農地らしきところで40前後の住人に声をかけてみた。 「こんにちは」「・・・」「良い天気ですね」「・・・」私の格好とあいまって21世紀の阿波弁が 標準語に聞こえてとっつきにくいのか、逃げ帰ってしまった。またある者は寺へと駆け込んでいる。 寺に戻ると住職は住民たちに「心配するな旅の者じゃ、ふつうにしていればいい」と言っていた。 住民に向って私がまた「こんにちは」と挨拶すると今度は住職と一緒で安心したのか、ちょこっと 頭を下げて遠巻きに私を見つめる。私がまゆやまの方から来たこと、寺を巡って修行していることなど 話し、今の時代を尋ねるとどうやらお大師の若いときの時代らしい。まゆやまの方の話しを聞きたいと 住職が言うとまわりの住民らも、うんうんとうなずいた。待ってましたとばかり話しを始める。 まず財布から千円札を出して見せると夏目漱石肖像画に驚き手を合わす。こんな精細な絵なんてもちろん 見たことないはずだ。どうやってここまで来たと聞くので、千円札で紙飛行機を作りふっと飛ばすと 目をぱちくりして後ずさりした。私が「このように空を飛んで来ました」と言うと私に向って合掌した。 私は調子に乗った。知らぬ間に背負ってきていたリュックより懐中電灯を出しスイッチオンしてご本尊を 照らすとウォーと全員が叫び私のわからぬ呪文を唱え出した。次ぎにその呪文を唱えている姿をデジカメ でピカッと撮影すると目が点になっていた。更に液晶で自分らの姿を見ると自分の顔はわからないのか 仲間の顔を見てお前だとばかり指指してはしゃいだ。鏡などない時代なのだ。気が付くと集落全員が 集まってきているようだ。メモ用紙にボールペンでさらさらと字やら絵を書くと大喝采となった。 坂本九の上を向いて歩こうを歌ったら、こんな拍手いままでもらったことない大拍手。 まゆやまの下の未来の道路の話しとか車、テレビ、デパート、洋服、遊園地、電話、などいくら話し ても誰も飽きず立ち去らない。最後に今実用的な農作業の方法と農機具製作と作り方をしばらく 滞在して教えることにした。夕食はあちこちの家から質素ながらたくさんの食べ物が持ち寄られ 住職とともに満腹になった。もちろんその間も住民にはちんぷんかんぷんな話しが続いた。 結局住民らも一緒に寝た。寝ながら空海とは未来人だったのではと思った。 翌日から小学校で習った程度の畑作、稲作、くわ、牛力使った耕作、水車など教える。時間のかかる ものは翌年また見に来ると約束する。居心地がよかったので10日は滞在しただろう頃に、住職に 切幡で私を待つ人のささやきが聞こえるので先を急ぐと霊山「壱番」と木に彫り本堂入り口に打ちつけ 寺を後にした。極楽道のそばで大谷の壷らしき器に大根を詰めている丸顔の乙女と目が合う。 なぜかドイツの血が混じったような目と顔立ちをしていて阿波北方美人だ。「名前は」と聞くと 「いくです」「どちらまで」と返ってきた。切幡に行くと答えると、ぜひいくの家の前の極楽寺に 寄ってくださいと案内してきた。先を急いでいたが付いていくとちっちゃなお堂があり、聞けば 母ちゃんがこのあいだ死んでここに埋めたので拝んでほしいとのこと。やさしい母ちゃんで 私を産んでから17年ずっと病弱で毎日このお堂に参っていたが力尽きたとのこと。高台の母の眠る 盛り土のまわりに木の苗を植え下のお堂で祈る。これからもいくがこのお堂を守っていくと言う。 心打たれ、極楽「弐番」札を打ち付ける。いくは「参番」「四番」「五番」「六番」「七番」札を 打つまでの16日間毎日私に会いに来た。いくは外の世界を盛んに知りたがっていた。何でも入って いる私のリュックより家庭医学の本と四国地図をプレゼントする。文字など全く知らない彼女だが その間に基本を教えたのできっと地元人のために役立てるだろう。21世紀なら半日の距離だが、 地元人とのふれあいながらの16日間はそれでも急いでいるスピードになる。
第3回(2002/03/26)
熊谷に来たとき池の前で突如全身がしびれ気絶した。目覚めると自宅のパソコンの前にいた。 あれっと思いながら妻に今まであったことを話すと「何言ってるんよ、昼の仕事終わってひと寝入り してただけじゃないの」と言った。おかしいなぁと思いながらリュックの中を整理し明後日再び 出発の準備した。なぜか21世紀のめずらしいものをたくさん詰め込んだ。風呂に入り身体を洗い 湯船に浸かっていつもの癖で「あー極楽極楽」と言うと意識がスーと消え、あの極楽寺前のいくと 一緒に御所の湯に浸かっていた。ハッこれはいけないと素早く湯からあがり東屋の横でいつもの仕事着 に着替えた。待っているといくも縞模様の着物に洗い髪のまま出てきて、「大師さま、くださった 病気のご本ためになりまする。村人をもう何人も救いました」と言う。「確か半月ほど前にプレゼント したはずで短期間でものになったか」と聞くと、「大師様何をおとぼけですか、いくは21でございます」 21世紀往復の間に4年経っていたのである。そうかぁと寒そうないくの格好を見て湯冷めしてはいけないと リュックから赤のカーディガンを出し掛けてやる。いくと一緒に瓦「八番」たばこ「九番」を打ちつけ 九番前の民家にて休息する。もちを食べながら、いくにしぱし救急処置と止血の話しをしてやると 十分知識を得ているのかうんうんと相槌する。よく話しを聞くと私は4年ぶりではなく毎年のように 来ており、いくのところにはその都度必ず寄っているそうだ。そういえば微かに記憶があるようだ。 し残した事があるのでと家に帰るといういくと別れ一人切幡へ向った。細いあぜ道の三叉路を過ぎた ところで古着をたくさんつるしてあった。聞けば古着ではなく何度もつむぎ直して作った新品だと言う。 この三叉路で旅人や近在の人に売っているという。代金は米や乾物や梅干など食べ物との交換が多いと 言う。私はリュックより和田島ちりめん乾物を出し差し上げると一口食べて「磯の香りがいっぱいする」 と、主人は交換すると着物を出してきたが、仕事着があるので代わりにすげ傘をもらう。 しばらく先の分岐に建つ農家で主人を亡くしたという30過ぎの女性が話しを聞いてくれと招き入れられた。 主人はよく働いてくれ幸せだったが何も残さず逝ってしまった。作物も何を作ってもほんの少しの足し にしかならない。これから先どうすればいいんだと幼子を抱きしめている。私はリュックより 明治の板チョコを出し一口食べさせると「甘ーい、うまい」を繰り返した。これを見て、 この地にぴったりの、この甘い味を活かすさとうきび三盆糖苗を差し上げるので栽培しなさいと 耕作と精製法を教える。どらえもんのような何でも出てくるリュックのファスナーを閉め先の 四叉路を右折し坂を登っていく。333段の階段はなくくねくねと登る途中で始めての僧侶らしき 旅人に出会う。聞けば名を鶴澄と言う。ここで修行を終え鳴門の海を渡り京に帰ると言う。 ここまでの四国の地は修行になったが、京から四国に来るまでもたいへんな難行であった。 あの鳴門の渦潮の海を渡るのに命を賭けねばならぬ。ここまでに4人の行き倒れを葬ってきたが 帰りは私が葬られるかも知れないと、懐から木に書いた遺書を出した。そこには「所の御作法を もって取り置きくだされ」の一文が入っていた。地水火空風生老病死。私にとってこの先相当の 覚悟を持たねばならぬと感じた。中腹の本堂一つの寺に着いた。その右奥に29歳の名をめぐと いう女が待っていた。一目私を見るなり「お待ちしておりました」と涙ぐんだ。聞けばこの一ヶ月毎日 この場にて朝から晩まで居たという。住職の栖自も出てこられ、その待っている間に寺の手伝いを よくしてくれたので何か力を貸したかったが、待ってる人が来るまではと何も言わなかったそうだ。 めぐは近在野武士の次女で姉が嫁いで自分が跡を取ると決めている。しかしこの歳まで男に恵まれず わがままな性格も災いし今に至っている。住職に毎年巡ってくる私のことを聞き、もうそろそろその 時期だと待っていた。室戸というところに行けば一生を共にするという男に会えるのでご一緒したい と申し出た。「室戸は遠いし途中険しいぞ、女では無理だ、それに男と女の二人きりではいかん(だめ)」 というと悲しげな顔をした。それを見た住職は「これぞ私が力になりたかったことじゃ」と 住職も一緒に巡礼することになる。三人旅である。「水戸黄門さんの旅になりそうだな」と私が つぶやいてももちろん二人には何のことか分からない。めぐは機織り仕立てた中に着込む襦袢のようなもの をくれ、四国の地は朝晩寒うございますのでお付けくださいと言った。切幡「十番」札を打ちつけ三人で 寺を後にした。遠くには大きな吉野川がゆったりと流れており、その向こうには山々が連なっている。 その山々のずっと向こう側が室戸の岬だろう。誰が、何が待っているのだろう。まばらな集落を抜けて いくと吉野川の中州に渡る淵に出る。渡しなどないので、地元の利を活かし栖自住職の顔で川漁師を 見つけ渡してもらう。中州は広々していて遮るものは何もない。道はないので一直線に小砂利の上を 歩いていくとやがて竹やぶに行き当たり、抜けるとまた川だ。対岸がすぐ目の前に見える。 まったく人影がないのでその場で待つこと半日、日が暮れそうなころ漁師の小船が見えたので大きく 手を振ると長い竹竿で川底を突き小船はやってきた。対岸まで乗せてもらう。ここらへんの漁師は たくさん漁をするのてはなく一日分しか取らない、家族とその周辺が食べる量だ、だから大漁という 言葉はない。降りるときお礼にとリュックからぶどう饅頭を出すと、漁の中からうなぎを食べろと 大きいのを3匹くれる。今日は川島の村で野宿だと21世紀城山あたりの適所を探していると、先ほどの漁師 が、「あの饅頭はうまかったと、おかぁも子供たちも喜んだ」「ぜひうちで泊れ」と迎えに来た。 藤井寺に着けず野宿覚悟だったので助かった。一間しかない家に着いた。お邪魔しますとリュックより 今度は川田饅頭とふじ餅を出した。「甘い、美味しい」と大喜びだ。包装紙は宝物にするそうだ。 うなぎの蒲焼とごはん、味噌汁、菜っ葉で夕食となる。21世紀の江川遊園地の話しが子供達に大いに 受ける。めぐはこそっと河原に身体を拭きに行った。たき火が消え暗くなったので懐中電灯を出そうか と思ったが自然に任せ暗闇の中集団で雑魚寝した。
第4回(2002/03/27)
身支度を整えためぐにオレンジ色の朝日が差し込む中起こされ栖自住職とともに目覚めた。 家の者は既に漁に出たのか、留守番の子供だけが残されていた。その子は「これ持ってけ」と母親が 作ったであろう笹にくるまれたおにぎり6個を手渡した。別れ際「おじちゃん、また甘いのお願いね」 と小さな声で言った。「そうか、甘いのがそんなに大好きか」「それならこれをやるから山際の学に 植えるとよい」とぶどうの苗を渡し育て方を教える。北の山際の御所に嫁にいった姉ちゃんにも 分けて育てると大喜びだった。日の低いうちに藤井の寺を目指した。途中のちょっとした集落で 阿波和と名乗る男が旅人や遍路相手に「ここらへんの道と宿と食べ物の案内をしています」と声を かけてくる。見れば大きな笹の葉一枚一枚に墨らしきもので情報を書き込んである。いろいろな 情報を束ねた葉はさながらタウン誌だ。よく見ると簡単な地図と宣伝も入っているようだ。 お代は旅人の珍しい物と交換だという。リュックよりボールペンを出し笹に絵を書いてこれでどうだ と見せると一番出来の良さそうな葉っぱタウン誌を差し出した。インテリ情報通のようなので時代を 尋ねてみるとやはり1200年前のお大師様の時代のようだ。道すがらその笹タウン誌を見ると、 ふじい、ちょうど、りゅうすい、いっぽん、しょうざん、じょうしん、なべいわまで書かれていた。 藤井の寺手前の小山の竹薮を通りかかったとき、「身包み置いてけ」と手に動物の骨のような凶器 らしきものを持った3人の盗賊に出くわした。私はさっと白ではなく黄色いタオルを差し出したが、 納得せず、着ているものを脱げというので、抵抗させてもらった。空手K-1である。あっけなく一人を 倒すと逃げ去った。倒れた盗賊に黄色いタオルをかけてやる。竹藪を抜けると寺である。 ここで先ほどの暴力を詫び、枯れかけ元気のない藤の木のまわりに天かすをまき、藤「十一番」を 打ちつける。住職と盗賊の出た話しをすると、昔はこんな事はなかったが裕福な旅人や巡礼が多く なってから凶作の年などに生活苦から一時的に盗賊変身するようだ。本当の悪党ではないので 喧嘩も弱く一喝すると逃げるようだ。こわごわと本堂横より山道に入る。栖自住職は盛んにお経を 唱えて登った。振り返ると大師の時代から1200年財産の吉野川平野が一望できる。家はないが 21世紀の景色と同じだ。ちょうどあんには熊のような人がいた。先ほどのことがあったので警戒したが 人懐っこく、雨水を貯めた水を出してくれた。ここをねぐらとしているというのでリュックからビニル の敷物を差し上げた。どんどん登る、めぐが苦しそうなので休憩した。めぐは「このような山道に 慣れようと切幡の山を何度も上り下りして身を所望した」「あまり心配なさらないで」と。上り そして下りを何度か繰り返すと、お堂が見えてきた。めぐは喉を乾かしているようだが、あいにく お堂にはだれも居らず水もない。私が途中拾った柳の杖で水のにじんでいるところを突ついて掘る と土中に貯まっていた水が噴出した。3人で一緒に浴びるように飲む。そしておにぎりを食べる。 私がもよおしたと東の草むらに行くと栖自住職は西の草むらへ、めぐも恥ずかしそうに南へ消えた。 元の場所へ戻るのは私が一番遅かった。みんな元気になって顔色良くなって、いっぽんを越え、 下ってそうちを越え、壁のような急坂を登ろうとしたとき真っ黒な雲に覆われ稲光がし、また 盗賊出現かと思われたそのとき、火を吹く大蛇龍が出たのである。驚いて腰をぬかし坂を 三人へんろころがし落ちた。火は山を焼き尽くしていた。でも行かねばならぬと、えいっと杖と ともに大蛇龍の口の中に押し入り内臓脾臓あたりの火の元あたりをマルヤマ消火器で攻撃し杖で 穴ぼこだらけにする。やがて吐き出すように体内から放り出され斜面で気絶する。めぐと栖自住職 の声で意識戻り、どうなったと聞くと大蛇龍は朽ち果て腐って肥料になり、ご覧のように山は緑に 覆われたとのこと。深い緑に包まれしょうざんお堂に着き、焼山「十二番」を打ちつける。 住職は「大儀ありがとう、この先は遠い泊っていかれよ」の言葉に邪魔する。 その夜ふもとの村人がご馳走を持ちより朝までもう山は焼けないと喜んで騒いだ。焼けない山の 作物に何が良いか聞かれたので梅がよいと苗を置く。翌日出発予定が村人の盛大なお接待で5日 留め置きいただき、なべいわで総出の見送りを受け、たまがの峠に分け入った。 たまがの峠では栖自住職が石仏を彫るというので、見ているとあっという間に転がっていた石を 命より大切という貴重な鉄ノミで削った。荒削りだが峠左手に安置し入魂経を唱えた。聞けば この地で栖自住職の弟が行方不明になって戻らぬそうだ。下ってあがわからかみのやまへ足をのばす。 地元人しか知らぬという小さな阿波一番の温泉があるらしいのだ。地元人に何度も聞きながらやっと 沢沿いの神の温泉に着く。前の一軒宿「しきさと屋」を宿とする。 温泉は混浴である。21世紀は男女別々が当たり前だが1200年の昔は混浴が当たり前である。 が、私と栖自住職とまず入ると、地元の男女数人が入っていた。いい湯である、ゆったりと入る、 極楽極楽と言いかけてやめた、タイムスリップほしくないのである。めぐが恥ずかしそうに入って きた。背中を流したいというので二人して流してもらった。そしてその後端と端に分かれ湯を堪能した。 しきさと屋の料理は美味かった。酢の物、天ぷら、煮物、焼き物、生物と揃ったおかずに佐那河内の 米飯だった。よくぞこの時代のこの田舎にこれほどの料理をと尋ねると、主人は京で宮廷料理修行し 長年勤め帰ってきたとのこと。年に数度油や調味料をとくしまのせんばあたりに京からの品物が出て ないか往復4日かけて大きな背負いかごで仕入れに行くそうだ。明日はにゅうた村からこくふ村に 入ると寝る前に説明するが、栖自住職もめぐもすっかり寝入っていた。
第5回(2002/03/28)
雨音で目覚めた。栖自住職は蓑をまとい、めぐにはリュックから青のポンチョを出してかぶせて やり、私は100円ショップの折り畳み傘をさした。雨に濡れるついでに近所の「雨乞いの滝」にて 滝修行をすることにする。やっと平地を歩けると思った足はつづらの坂道をゆっくり登った。 雨で水かさの増した滝下に着き、私と栖自住職はパンツと下帯姿、めぐは白装束姿のまま流れ落ちる 滝に打たれ一念一心祈った。「ぎゃーていぎゃーてい」を繰り返していると突如滝の流れが石の 塊のように増え全身を打たれ気絶した。しばらくだろう滝のちょろちょろの流れを顔に受け3人の意識が戻る。 私はまわりを見渡して驚いた。コンクリートの手すりと舗装の道が見えるのでどうやら21世紀に 時空越えしたようだ。空は晴れ衣服は乾き栖自住職とめぐはきょろきょろしながら歩きだした。 おろのあたりで2人は腰を抜かした。怖いものを見たような目で舗装道路を走る車や鉄筋コンクリート の家、商店、人々の服装に驚いたのである。私は「これは1200年経ったとくしまの姿だ、 1200年経っても心は変わりないが身の周りは魔法にかかったかのように便利になる」「とりあえず 1200年のちの道を歩けという修行じゃ」と説明した。前を走る4つの輪のある自動車と言うものに乗る と半日もかからぬ間に室戸まで行けると言うと、2人は乗りたがったが歩いて修行と説き伏せた。 2人は歩き易いと舗装された舗道を気に入り歩行スピードが上がっていた。草ぼうぼうの道なき道の 山道からすればハイウェイに感じるのだろう。2人の姿格好は21世紀の遍路姿そのものであり、私 の仕事着のままの遍路格好のほうに違和感がある。めぐが喉が渇いたというので自販機でマッチを 買い与えると「キュッと美味しい」と喜び、残りを飲んだ栖自住職は「美味いのう」と言いながら げっぷをしていた。ずっと目に映る物の説明続きとなる。すっと車が横に止まり、助手席の窓を 開け手を合わしたあと一口の大きさに切りそろえた「さわしか」と爽健美茶をお接待ですといただく。 さわしか食べて栖自住職は「口の中でとろけるように消え、私の顔もとろけた」とうなった。顔は 全くの童顔になっていた。めぐは爽健美茶をこんな美味しいお茶はあいおいお茶にもひけ取らぬと 飲み干した。納得顔のあと2人は「ところでお接待とは何ですか」と聞くので、1200年の昔には なかったかも知れないが、物が豊富な裕福な時代となって心も裕福になりたいと思う方が自分の 想いを込めて巡礼者を助け託す行為で見返りを求めない無償のものですと教える。栖自住職は 「私は民家の前に立ち、食べるのがやっとの状態の米を托鉢してもらっていた」「その自発的なお接待 というのだけを待っていたら飢え死にしとっただろう」と商店に溢れる食料品を横目に無無・・と 経を唱え歩いていた。13番大日寺が見えてきた。栖自住職は立派な建物に驚きながら21世紀のお遍路 さんと一緒に参る。「十三」「十四」「十五」「十六」「十七」と打ち佐古を通って徳島市中心街へと 進む。まゆやま(眉山びざん)ふもとまで来て遅い昼食を駅前のそごうレストランで食すことにする。 私の後を2人は真似て付いてくる。歩道橋を渡り店内に入りエスカレータに乗るとめぐが「あっ」と バランスを崩していた。しっかりと手すりを持たした。降りてはつまづき乗ってはよろけを繰り返し レストラン入り口の見本の前に立った。たくさんの食べ物見本を見て楽しそうである。私がどれを 食べると聞くと「全部」と答えた。そりゃ駄目だよと言うと、めぐは黄色いオムライス、栖自住職は そごう定食、私は吉野川定食を注文し窓際で眉山を見ながら2人は幼児が食べるようにたどたどしく 口に運んだ。窓から見える世界を2人は極楽浄土の世界と見えたかも知れない。食後2人が用足しと いうのでそれぞれのトイレまで案内するが、しばらくして黙ってそのまま出て来た。美し過ぎて 用足しの場とは思えなかったのである。しかたないので人目のないときにこうやるのと実際お尻を 出して教える。紙はこれ、ここを押すと流れるという具合に。2人を見て、人間は過去に向いては適合 できるが未来に向いてはなかなか適合できない。保守的になるはずだと思った。 眉山ふもとまで戻り、阿波踊り会館で盆踊りの流れをくむ阿波踊りを見物し、ロープウェイで眉山山頂 まで行き標高280メートルよりとくしま全景を見る。2人の何度も気絶しそうな姿を見る。後ろから 「休んでいきなさい」とパゴダのおばさんがお茶とお菓子のお接待をしてくれる。降りて、少し先の ワシントンホテルで3人それぞれのシングル取り宿泊するが、私の部屋に来てドアの開け方、 照明スイッチ、風呂の入り方、ベットでの寝方まで私の実際を見て、テレビにはもう大はしゃぎだった。 私は慣れたものでぐっすり寝たが、両隣の部屋では朝までばたばたしていたようだった。 朝、二人は赤い目をして出てきた。一階で朝食を食べながら、寝られなかった話しを聞いた。全然寝て いないようなので、これでは動けないともう一泊することにした。昼間両国雲井の菓子をつまみながら 新町川沿いを散策する。夕方繁華街の秋田町できょとんと焼肉を食べ、徳島で高知弁をあやつる スナックに入り洋酒を飲みカラオケを歌う。私には自然なことだが過去から来たお客さまには、 おとぎの世界だったろう。お酒も効いてか私も含め3人はぐっすりと寝た。朝二人はすっきりした顔で 挨拶してきた。「おはようございます」「この国では足がふわふわして夢心地を過ぎております」 「やはり田舎が落ちつきます」「自力というものが通用いたしません」と次々に言いながら、その エレベータに乗った。すーと無重力を感じたかなと思った瞬間、照明が消え、意識が飛んだ。 目を覚ますと、にけんやあたりのあぜ道に居た。周りを見渡すと何もなく、どうやらまた1200年前に タイムスリップして戻ったようである。栖自住職もめぐも我が世界に戻りたりと力強く歩きだしたが 「また行きたい」と21世紀に未練ありそうである。川や小川が何本も行く手をふさぐ。その度に難儀 する。橋があって当たり前のところに橋が無いのだから。腰まで入って渡ったり、渡してくれる船が 現れるまで待つ状態が続きなかなか前に進まない。やっとの思いでおんざんの山が見えた。 境内に入りお参りを済ませると一人の老婆が寄ってきて「お前はかつか、わだじまのせつ母じゃ」 と尋ねてきた。両方の名前は合っているが時代が違うので「違います」と答えると、 一人息子がどうしているかと気になってここまで会いに来た。母は息子がいくつになっても心配じゃ 、できるものなら有り金全部とこの命をもやってもよいと続けた。私は目頭が熱くなり21世紀の母の 恩を感じた。母恩「十八番」札を打ち付け下った。門前の一軒の「ちいば」という宿泊もできそうな茶屋 前を過ぎ、しばらく行ったところでお京なる女が夫殺ししたとかで村男どもにつかまっていた。 お京は大きな声でなにやら叫び狂っていたが、男どもはお京の髪の毛を持って引きずりまわしていた。 抜けた髪の毛が哀れだった。その場を足早にたっちぇを目指した。たっちぇのおどうさんの村は 賑わっていた。縁日が開かれており、めぐが楽しそうにはしゃいだ。「すみおお」という一軒のめし屋に 入り空腹にまずいものなしの結構な味に腹を満たした。たっちぇの寺は今までの寺で一番というぐらい の大きさだ。なんと本堂とは別に納経所の建物があるのだ。そしてその入り口の扉は両手に寺の人 が居て人が来ると開けてくれるのである。自動ドアである。根掘り葉掘り尋問され納経は厳しかった。 関所寺だったのだ。私の姿を見て大陸からの外人巡礼と見られたようであった。 くしぶちを通り抜けた峠茶屋で休憩し、ぬえを過ぎ、つる登り手前のかつうらがわ沿いの「こかねこ」 という民家に宿泊願い出ると快く応じてくれた。つるとりゅうの山越目前の宿代わりにちょうどよい 場所にある。もちろん一室雑魚寝である。明日朝早いのでと先にお礼の金帳まんじゅうとみかんの苗 とカシミヤセーターをリュックより出し差し上げる。ここらへんはみかん栽培に適していると主人と 話しながらの夕ご飯は川魚たっぷりだった。夕焼け空を眺めながらめぐが泣いていた。どうしたのかと 聞くと、「みんなが優しい、優しすぎる」「同い年の子は嫁ぎ子供を産み百姓して家から半日の距離も 出ることなく外の世界を知らないで一生過ごす」「それに比べめぐはわがままで妥協なく男勝りに29 まで生きた」「そしていま何処かにいる生涯の男を求めてさまよい歩いている」「近くに男はいくら でもいたのに、ちがうちがうと下に見ていた」、私に「21世紀とやらの女はどんなん」と聞いてきた。 心配するな1200年経っても女心は変わらない。めぐみたいな女はたくさんいると答えると、「実は、 めぐはひとり身が生に合っているような気がする」「でも先寂しいよね」、栖自住職一言「迷えるから 人間なんだ迷えることを幸せと思ふ」、私「迷いも感じない幸せな人は普通の有り難味を知らない」。 夜は更けた。この先山越えのあと、初めて見るだろう「たいへいなだ」という大海の道からいよいよ 波乱万丈になるぞと3人気を引き締め寝た。
第6回(2002/03/29)
翌朝早くつるへの登りに入った。人一人がやっと通れる幅の道だ。確か21世紀の道は途中まで舗装 されて、その後もよく整備された山道でつるの住職も檀家がよく手入れしてくれると自慢していたな。 いくなの村が下に見える。堤防もなにもないかつうら川に打ち上げられたように民家が建っている。 大雨ですぐに洪水になればひとたまりもないだろう。高度を上げていく。めぐの様子が変だ。昨夜 の話しをまだ引きずっているのだろうか。「めぐ、どうした元気ないな」「うん、うん何でもない んよ」「今日は3つ山を越えるつもりだが調子悪ければ、たいりゅうか、そのふもとのさかぐちか りゅうざんで泊ってもよいぞ」「いえ大丈夫です」恥ずかしそうに「昨日より女の月のものでござい ます」そうかと栖自住職と顔を見合わした。「一本道でございます、お先に行ってくださいませ」 「いやそれはいかん、山賊にでもさらわれたら大変だ」と待つがどんどん遅れる。体調の調子の悪い のをずっと見られるより、少し離れて気楽に登りたいのだろう。21世紀のチラシ宣伝の話しを 栖自住職にする。私「商いをしていましてね、売上が落ちてくると宣伝のチラシをまくんですよ」 「チラシの効果は2日目に多くてね、たくさん売れるんですよ、だから2日目がしんどい」「女の 月のものと同じですな」、栖自住職は商売っ気も女ッ気ない人でよく分からないという顔していた。 めぐの姿ははるか下のようで見えなかった。つる紋の入った寺に着く。老住職と若住職がよく 来たと歓待してくれる。ふもとの様子や他寺の様子を聞かれる。世間の情報は旅人に頼るしかないのだから 当然だ。21世紀では宿坊のあった付近に無縁仏の墓がたくさんある。これを聞いてみると「ああ、 この人らはこの寺に来る途中運悪くこの山に居座る山賊に殺されたのじゃ」「哀れで可愛そうなので 見つければ葬ってやっているが行方知れずも多い」と。ドキッ、めぐが心配になった。かなり 経つのにまだ来ない。若住職が若い娘を危ない山中一人にするとはと怒る。来ない、来ない、 心配だ。来た、いや男だ、それも身なりの悪い奴だ。それを見て若住職が「いかん、山賊の手下だ」 「この寺には盗るものがないので襲わない」「きっとその娘のことだ」。 その山賊はにやにやして近付いてきた。「親分が気に入ったのでめぐという娘もらった」「めぐも 親分を気に入り嫁になるが連れが心配するので伝えに来た」と言うのである。何かを引き換えに要求 されると思っていたので、すぐに引き返した手下にあ然とした。めぐがすぐほかの男を好きになるとは 思えない。絶対救い出さねばと、めぐが急にいとおしくなった。老住職と若住職に山賊の様子を聞く と、総勢は7〜8人らしく、ふもとの村はずれに住み、旅人の後を追いかけて山に入ってきて襲う らしい。事態が呑み込めるとすぐ栖自住職と下った。若住職も道案内に加勢した。 そのアジトは広い河原の山際にあり、男どもがうろうろしている。若住職と栖自住職が「どうするのだ」 と私の後ろで後ずさりした。私が「正面からどうどうと攻める」とリュックから機関銃を出した。 弾は鉛の代わりに硬質コルクにしてある。「めぐはいるか」と大声で叫ぶと萱葺きテントのような 建物から、きつねとたぬきのような顔の小柄男に引きずられ出てきた。すそが乱れているようにも 見える。「めぐっ大丈夫か」、うんとうなづく。「めぐはここに居たいのか」と聞くと大きく首を 横に振った。親分と子分らは「貰ったので大人しくいね(帰れ)」と私から見れば頼りない武器を 振り回した。私が大きな声で「お前らなにしとんな、許さんぞ」と言った瞬間こちらに襲ってきた。 若住職と栖自住職は勝どき声を後ろ向きに出しそのまま後ろへ。パッパッパッパッ引き金に力が入った。 子分全員倒れたのを見て親分は何が起こったのかと、座り込んで私に両手を合わせ拝んだ。 めぐがゆっくりとこちらに歩いて来て私に抱きついた。「大丈夫だったか」「犯されたのか」と 今度は実弾を込めた機関銃を親分に向けていた。めぐは「盗賊どもは女の月のものを見て意気消沈よ」 、私は男は血に弱いと苦笑いと安堵で空に向けけたたましく全弾発射してその場を離れる。 その夜は、鶴弾「二十番」と札を打ち寺にて戦勝祝杯泊となる。若住職はこれで寺への山道が安全に なったと喜んだ。この若住職の子孫だろうか21世紀の鎌大師手塚妙絹著書「人生は路上にあり」に 写真載っていた。めぐは不安だったのだろう私の横で寝た。翌朝のたいりゅうへの道は下って上って ときつかった。途中のなかがわみずいでは流れのないところをいかだに乗り張られたつたを 相当の距離引き対岸へと渡った。21世紀では胸のすくような高さに橋がかかっていたところだ。 大汗かいてたいりゅうの寺に着いた。西高野「二十一番」札を打ち、舎心ヶ嶽に立つ。立つと先を急ぐ 予定だったのが失せ日の暮れるまで立ち続けた。戻るとめぐと栖自住職はたいりゅう住職よりすっかり もてなしを受けていた。2人はここに続く山道の山賊をやっつけた話しをし、たいりゅう住職が たいそう喜ばれ、このもてなしとなったようだ。私の武運を見込まれ、あることを頼まれる。 もてなしも終わり、みんな寝た深夜に寺の西でそれを待った。火を吹く龍である。全天の半分は あろうほどに横たわった。恐ろしい。リュックから強力ドライヤーを出し最強にして龍に向けると 龍の火を上回る火で龍を焼いた。みるみる龍が縮んでいった。たいりゅう住職にやっつけた証拠と するため、納経場隣りの天井にドライヤーを弱にし龍を焼き付けた。翌日の下り坂は晴天の下軽快で あった。りゅうざん茶屋では旅人用なのかふとんが多く干され、さかぐち茶屋ではざぶとんが干されて いた。あぜ道を右手にとり山際の沢沿いをくねくねと南へ向う。あせびの集落が見えてきた。 あせびの村で喉が渇いたので四辻の油壷のある民家で水を求めたところ「水は貴重じゃ」と油を 売るかのように物物交換を要求してきた。貴重な和紙を差し出すと「食えんもんじゃがしゃーない」 と一つの竹器に水をくれ、油壷にもたれ3人で回し飲みした。すると「これ、油壷を塞いでは商売の 邪魔じゃ」と怒り出した。めぐはすみませんと謝っていたがにらまれ続けた。追われるように おおねの山に向っていくと、今度は畑しごとのおじいさんが話しかけてきた。今日は珍しく3べん 遍路の旅人を見たと言う。前の人は「ましく大師」と名乗っておられ、その前の人は「みやけん大師」 と名乗られた。みやけん大師は、誰もが遍路しやすいようにと、人に会ってはここらに寝るところは あるか食べ物はあるかなど聞き板の札に書いて憶えておった。ちずとやらを作るらしい。 またその板の札に手を画き道々に貼り付けてもいるそうじゃ。ましく大師は玉が勝手に動く のいまんそろばんとやらを作っていてうまくいき、ほうびに休みをもらいこの地をひわさ浦までいく そうじゃ。私の名前を聞かれたので「うお」と言うとうお大師かいい名じゃと誉めてくれた。 ここらの百姓は食うものしか作らんので、わしは食えるし物を作る材料にもなるものはないか と考えとると言うので、リュックより竹の苗を出し差し上げる。竹の子のときは食べられ、 大きくなれば柱に使え、割って家の土壁補強にもでき、さらに細く割ってかごもできると教える。 おおねの峠越えは、つるやたいりゅうに比べれば楽だった。だが栖自住職はひざを痛めて びっこぎみだった。結局びょうどうの寺に着くまでリュックを栖自住職が背負い私が栖自住職に 背中を貸した。汗びっしょりで着いたのを見た寺住職は大きな桶に寺の秘湯を満たしてくれた。 めぐが隠れるように身体を拭き、そのあと男二人浴びるように湯を使いきった。三人均等に貴重な湯を 使ったということで平等「二十二番」と札を打つ。明日朝3人本堂でお経1000回唱える修行をすること にし早寝となった。日の出前支度を済ませ薄暗い本堂板の間に正座し唱え始める。995回996回997回 998回999回、背後がざわざわするが気にせず1000回目を終え、ご本尊に目をやるとご本尊が微笑まれた。 「もしや」そうである、夜明けの太陽は21世紀のものであった。私ら3人の後ろに車で参った遍路が たくさんいてめいめいにお経を唱えていた。めぐと栖自住職にまた21世紀の世界だよと言うと めぐは落ちつきなさそうで嬉しそうな顔をし、栖自住職はどうでもいいやどうにでもなれという表情 でひざをさすっていた。私は親切な納経所で薬箱を借りてきてエアサロンパスをひざにシューとし 湿布しサポータを巻いた。「おおこれは楽になった」と言う姿を見た車遍路が「大変でしょう、車お接待 いたしましょう」と申し出てくれた。「おっ車とやらに乗れるのか」と栖自住職はごきげんであった。 私とめぐは歩き通すということで、栖自住職だけお接待いただき次ぎの薬王寺前のレストラン橋本で 今夕落ち合うことにした。めぐと2人で歩く21世紀の道は足取り軽い。中学生や高校生が自転車で すれ違うたびに「おはようございます」と挨拶してくれる。私「おはようございますの挨拶はいいね」 、めぐ「大師(私)さんは朝でも昼でも夜でも、おはようございますと挨拶していますが何故ですか」、 私「芸能界という職場があってね、そこの勤め人と芸能人は昼夜なく働いているんだ、で当日初めて 出会った人には昼夜関係なく、おはようございますと清々しく挨拶するんだよ」、めぐ「当日初めて なら清々しくおはようございます、いいですね、じゃ私これからお経の仏説摩かの前に おはようございますを入れようと」、私「いいんじゃないですか」。そんなこんな話しをしていると 月夜御水庵手前で迷ってしまった。それを見てたおじさん出てきて、左の坂上がっていくと教えて くれる。夜歩くのに暗くて困っていたら明るい月が戻ってきて道を照らし、この場所を杖で突ついたら 水が出て水不足解消した場所だ。めぐは「21世紀の大師さまが懐中電灯とやらで1200年前の道を照らし たのじゃないの」、私「そう昔の超能力的な話は未来人が過去に戻って驚かせた可能性があるが、 計り知れない信仰のお力とも考えられる」、不異空空不異。鉦打橋を通り国道55号線に出ると、 たくさんの車が走っている。「うるさいし、息苦しいね」と由岐の分岐まで歩いた。真っ直ぐ先の 星越トンネル先の茶屋のおばさんごめんなさいと、国道をそれ遠回りの由岐木岐へと向かった。 (季節はいつだろうか)田井ノ浜では、水着を借りて泳ぐことにした。めぐワンピース水着が良く似合う ぞと声掛けるも、めぐはきゃきゃ言いながらシャワーを浴び浜辺に出た。「海海海、山育ちのめぐには 初めての海、おはようございます」とピンクの浮き輪を借り風呂に入るようにそろりと入るがやがて バタバタと大きな水しぶきをたて続けた。疲れて海の家で初めてのかき氷を前にして「おはよう ございます、いただきます」、たこ焼きを前にして「おはようございます、いただきます」。 そりゃ、めぐにしてみれば21世紀で出会うものは全て「おはようございます」だよな。 着替えて、海岸沿い道路を歩いていく。太平洋の海ばかり見てめぐは歩く。ぽっかり穴の開いた 恵比寿洞を過ぎると、レストラン白い灯台、そして赤海亀上陸する大浜海岸、その先はもう日和佐の 町だ。門前の土産物屋の通りの先に山門が見える。薬厄「二十三番」札を打ち付け納経済ます。 栖自住職の待つ橋本に着く。前の温泉に入ったあと、たくさん並んだバイキング料理をキャーキャー 言いながら腹一杯目一杯いただく。今日は橋本さんの善根宿(バス改造無料)に宿泊世話になることにする。 満腹になると寝付きがよいようです。発心の道場終わりました。お休みなさい。
第7回(2002/03/30)
朝、栖自住職は足の調子がよくなったと屈伸運動をしていた。歩き続けている途中で屈伸運動をしている 人を見かけるが、同じ筋肉の部位を使いつづけている途中で、急に屈伸運動で他の筋肉を刺激すると痛めたり つったりして動けなくなったりする。やはり歩く前後に、しかも最初は弱く、だんだん強くするのが よいだろう。歩道が無い場合は国道右側を歩くようにしている。何故かというと前から来る車の動向が 分かるからだ。左側を歩くと突然後ろからドーンとぶつけられるという恐怖がある。 日和佐トンネルを抜け山河内を過ぎ、日和佐と牟岐との境界の峠を越え、 小松大師の手前で国道に沿うようにほんの少しの旧道がある。めぐがそのまま気付かず国道を直進するので われらは声をかけず旧道に入る。この先ですぐ合流するからと軽い気持ちだった。めぐは捨てられたと パニックになっていた。それを見て近所のおじさんが駆け寄り道を教えるが、こんな単純な道でも土地勘 がなければ不安になるようだ。ましてや山賊にさらわれたり、時代をワープしているのだからなおさらだ。 気になったおじさんが付いてくるところを、合流地点から迎えに行くと「信頼しているんだから、不安にさせ ないで」と泣きそうな顔で怒鳴られる。いたずらっ気でちょっと意地悪した私だが、こんな純な女に付いてて やらねばと反省した。まだ機嫌が直らないのか少し距離を置いてふくれっ面で付いてくる。 その付いて来るめぐが盛んに着物のすそを気にしている。見るとほつれて ぼろぼろになっている。わらじもよれよれだ。そんな状態で峠を超え牟岐の町に入ると、右側にうなぎ の店が見えた。3人エネルギーをつけることにし、うな丼を平らげる。さらに町内に入っていくと 総合スーパーが目にとまった。さっそく店に入り、めぐの服一式をそろえ始める。女店員は「わぁ昔の格好の まま遍路するのもとても素敵だわ」との声を無視し、まずスパッツ、次ぎに綿のプリントシャツ、そして女店員に 選んでもらって下着、そして靴、ポシェット、いまどきの若い子と変わりなくなった。 恥ずかしそうに少ししていたが動きやすいのではにかんで喜んでいた。その近所の美容院で髪を短く切った。 ショートカットにしたが顔が小さいのでボーイッシュ風でよく似合う。栖自住職も「おおよく似合うぞ」 「俺も切ってもらおうかのう」と言うが元々坊主で切るところがなく大笑い。最後にシューとなにやら香りの よいスプレーを掛けて店を出た。特に靴が気に入り「歩き易い」と飛んだり跳ねたり走ったりして、 なにもかも大変気に入り上機嫌に戻っていた。 八坂トンネルを過ぎるとまた、太平洋が広がる。3人軽快にぶんぶん歩き飛ばす。私と栖自住職が競うように 調子に乗って飛ばしすぎ、気が付くとめぐと距離が開いてしまっていた。鯖大師前の饅頭屋で待っていると めぐはまた完全に怒っていた。「もう帰るから私の時代に戻して」「もう帰るんだから名物饅頭買って帰る」 「もう帰るんだからほっといて」と切れっぱなしだ。私が「こんな中途半端でやめるのか」「室戸まで行かな いかんのちがうんか」に更に逆上。饅頭屋の人にどこで覚えたのかタクシーを呼んでもらいぷいと消えた。 あ然として、いる人がいなくなって急に寂しくなった。反省する。ここまで相当な距離を歩いてきて疲れも たまっており平常じゃない状態だ。覚悟を決めて来ているので我慢に我慢を重ねるが、楽な世界が頭をよぎり ついプツンと切れてしまう。しばらく待つが戻らない。行方不明だ。めぐは賢い女だきっと遍路旅を続けて くれるだろうと別行動となった(二日後夫婦岩手前で再会することとなる)。この先一本道なので、栖自住職とも 最御崎寺で会うこととし気軽な単独行になる。しかしめぐはどうしているのかと気にかかる。一人になると 極楽のいくはどうしているのか、これから行く高知のゆうは元気か、はたまた徳島のかずとまゆは寂しくして いないかと女がずらずらと出てくる。お大師様が出てこん、修行が足りんととぼとぼ歩く。 宍喰の道の駅手前から旧道に入り古目大師を過ぎ、ちょっと早く国道に戻り「ひこうせん」に寄る。 いつものように込んでいる店内を汗臭い男一人カウンターに座り、カルボナーラ風の飛行船スパゲッティを 注文する。ここは普通が全て大盛りである。ママと簡単な挨拶話ししたあと店を出て国道と交差した道を 泊る予定のみとこ荘へと行く。太平洋がさらに大きく見える高台の上にその国民宿舎はあった。さきほど のスパゲッティが未消化の胃に名物「海賊料理」が襲って入っていく。一人ぼっちではあるが感情除いた 物理的身体は幸せ感じる。夜遅く天体観測会が屋上で開かれ星空をパソコン連動レンズ越しに目に接眼レンズの 輪っかの跡ができるほど覗き込んだ。色即是空空即是色。ふっとレンズから目を離し望遠鏡にはない大広角の 肉眼でも星空は神秘的美しさだった。美しいものは拡大しても遠く離れてみても美しい。宇宙色を堪能した。 そうか、離れてみても美しいものは美しいのか・・、人間も同じだな、離れてみて分かる美しさ。 この星空の下、同じ事考えているような気がする。何ひとつ文句言わずもくもくと働いてつくす女、説教ばかり する女、想いをしたため気ばかりつかう女、うるさいだけの女、一緒にいるときは感じないが、こうやって 一人になってみると、みんないい奴ばかりだ。俺はどうなんだろう、必要なのか不必要なのか。 金はあればいいが、気持ちがしっかり結びついていれば無くてもよい。遍路をして一番感じることだろう。 これが旅行だと金がいる。修行の道を歩くことと、交通機関を使う差はここにある。厳しい現実社会に 必ず戻らなければならない(少々古い表現だが)エコノミックアニマルは交通機関を使うほうがギャップが少ない。 私のような壁にぶつかってしまっている社会弱者はまわり続けてしまうかも知れない。まわりつづけていれば 現実に戻ることはない。無苦集減道無智やく無得以無所得故。2002年3月30日時点で自分は遍路年齢か チェックする方法を紹介しよう。二人連れのことを「アベック」と言えば即遍路、「カップル」と言えば予備遍路。 写真を撮ってあげるとき「はいチーズ」と言えば即遍路、「いちたすいちは」と言えば予備遍路。 時代は進むので今日時点プラスマイナス10年の誤差はある。ああまた私の分裂気味空想で夜は更けていく。 翌日、国道55号線に戻り県境のトンネルを抜けもくもくと南下する。甲浦の北の湖似の太いおばちゃん経営の 大和旅館はどうなっているんだろう。もう25年も経つけど元気でいるかな、泊る予定はないけどのぞきにいくと 少し手が入った建物になっていた。おばちゃんの姿は見えないが、それ以上は突きとめなかった。昔のいい 想い出のまま通り過ぎることにした。パチンコ経営も経験していたおばちゃんは、「民宿はパチンコに比べれば ちっとも儲からん」と言っていた記憶があるとおり、料理は桁外れ並外れの豪華さだった。淡い会社慰安会海水浴 泊の想い出だ。その白浜海岸海水欲場を過ぎ、東洋大師のある旧道に入ると野根の饅頭屋が二軒ある。本家は どちらかなと、徳島の「さおしか」と「さわしか」がぽっと頭に浮かぶ。今となっては味ではどちらもどちらと しか素人舌では分からない。伏越をすぎると何もない道が12キロ続く。東洋町ゴロゴロという地名だけで何も ないところで、修行歩行を国道より離れ海岸を歩く。ゴロゴロいくらでもある大石の上を歩く。平らなところ も砂浜もない石だけの海岸である。やっとの思いでゴロゴロ石海岸を抜け国道に戻った。戻っても何も無い、無い。 入木でやっと無いが終わり、佐喜浜漁港まで来て今日はここで野宿だと開けっぴろげのトタン小屋を拝借する。 波が岸壁にちゃぷちゃぷとあたる音を聞きながら、途中商店で買ってきたビールと肴で気持ちよく瞑想し寝る。 漁師たちのカブの音で目覚めるが、朝の日の出は素晴らしく鮮やかだった。何かを感じさせる一日の始まりを 告げるかのようである。昨夜の残り物で朝食済まし、荷造りし出発。先のわずかに残る旧道では、目が合う おばちゃんに会釈のみで声が出ない。まだ身体は本調子に目覚めていない。やがて尾崎の海岸堤防に腰掛ける 人影が夫婦岩に重なって遠くに見える。ロマンチックな光景だなと近付いていくとハッとした。めぐである。 おはようと大声で声を掛けると「おはようございます」と明るい。昨夜はここに泊り波の音を聞きながらいろいろ と考えたようだ。「めぐも一人で行けるんだ」と、「それはよい経験をしなすった」と私は答え、それ以上寂しがりや の一人経験はよく分かるので聞かなかった。きっと私の星空見ながら思ったことを思ったに違いない。一応一人前 という暗黙の了解で二人連れとなった。明星でめぐ初めてのコーヒー休憩し、「コーヒーさんおはようございます」 といつもの調子の天心爛漫(付け加えれば天然ボケ)状態に戻った。「めぐの目的地の室戸はすぐそこだ、いい男に 出会えるかな」と聞くと「出会えるに決まってるでしょ、こんなに苦労して来たんだから」と八方美人的な顔して 言い放った。御蔵洞はすぐそこであった。行くと最御崎寺で待っているはずの栖自住職が居た。聞けば何かを感じて ここを立ち去れんようになった様子。一緒に入って行こうと3人一列で奥まで行き、座り込んでお経を唱え、瞑想 にふけり、南無大師遍照金剛の声が響く。立ちあがり外へ出ようと洞窟の外の空と海に眼をやった瞬間、昼間と いうのに赤橙黄緑青藍紫(せきとうおうりょくせいらんし)の星が暗闇突いて飛びこんで来た。素早く避けたが 紫のは速すぎて避けきれず口の中に突き刺さった。さらにゴーと海が津波のようにせまってきた。3人抱き合って うずくまるが波に呑みこまれもがき苦しむ。もう息を止めておくのが限界に達し思いっきり呼吸をしたら口から 鼻から耳からも海水が身体に入ってきて意識を失った。気が付けば洞窟の真ん前まで海がせまってきている海岸に 横たわっていた。めぐを起こし栖自住職を起こした。周りを見ても道路はなく車も見当たらない。愛想のよい納経所 のおばちゃんの小屋もない。3人1200年戻ったのを認識した。 山際まで海がせまっている歩きにくい海岸を岬に行くと右上に上がっていく獣道に入った。垂れ下がるつたを かきわけ登ると、ほつみさきの本堂がぽつりとあった。最崎「二十四番」札を打つ。ここでは嫁はもらえないはずの 住職より、その嫁ではない嫁が愛想よく元気で明るかった。四国の僻地の中の僻地ゆえ修行者多くかかえ、また この雰囲気に呑まれここを動けなくなった人も多いようだ。めぐは恥ずかしそうに一人一人の男を見ていた。 21世紀宿坊のあったあたりも木が生い茂り境内の面積は10分の1ほどだろう。海が見える南の岩場まで行くと 21世紀と同じ海が広がっていた。しかし灯台もなく土産物屋も何もない。この高いところまでしっかりと波の音は 届いていた。泊りは本堂横のつや堂で雑魚寝となる。私の横で寝ていためぐが「お話があるの」と私を先ほどの 夜の岩場へと誘った。「どうした」と聞くと「私には分かっていたんです」「室戸に行っても待ってた人は居ない ことを」、私が「さっきはじろじろ男を見ていたぞ」と言うと、「いじわる見せたの」「私の待った人は切幡に 来てくれたあなただったかも」と身を寄せてきた。「かもねぇ」とそっと肩を抱き、そのあとポンとたたいた。 何の明かりも見えない夜景ではこれ以上は不気味で雰囲気は出ない。私にもいろいろ考えることがあるので雰囲気 も出せない。手をつないでつや堂に帰り寝る。
第8回(2002/03/31)
翌朝、登って来たつたの多い山道を引き返す。21世紀の時代ならスカッとする見晴らしのスカイラインを下るの だが1200年前の道無き道の時代である。下まで降ると室戸岬先端の少し先までは海際のごづごつの岩場を行く。 時速4キロどころか1キロ以下のスピードだ。大昔はこんな道がほとんどなので、21世紀遍路が88ヶ所を29日で まわったとか30日代でまわったとか標準的に50日でまわったとかいうのは楽過ぎる。この調子でいけば半年は かかるだろう。やがてぽつりぽつりと浜際に民家のある比較的歩き易い浜道を、つろ村、むろつ村と通過する。 つろ村では漁師が浜で釣り上げたかつおの身をおろしわらで寄生する虫を焼いた「たたき」をご馳走してくれる。 漁師というと魚をたくさん獲り売って生計をたてているというのではなく、自分らの食べる分だけの漁をし、 魚を主食にしている人ということだ。その「たたき」を塩だけで食べるように勧められたが、私はリュックより キッコーマン濃い口たまり醤油とハウスねりわさびを出し漁師らに食べてもらった。「つんとくるがうまい」と 多くの漁師が、たこ、はまち、キス、かにと持ちより全て生でいただいた。お礼に、沖のより大きな獲物「鯨」 獲りの手やりを使った複数船団協力による方法を教える。くじらの見えるむろとならではである。 つ寺「二十五番」、にし寺「二十六番」と打つ。にし寺では女人禁制札見てめぐは境内入れず外より拝む。 山育ちのめぐと山寺の栖自住職は、左手にずっと続くたいへいの海に見飽きることなく「海広いな」「海の 向こうは何がある」「海の下には何がある」「どうして波ができる」「どうしてしょっぱい」「どうして海は 山のようにでこぼこないの」「お空の青が映っているから青いの」「海の水どこから来たの」と海ずくめの 話しで盛り上がり続けている。はねの村では老夫婦が私らを呼び止め珊瑚の小枝50個束ねたものをくれ手を 合わしてくれた。次ぎの寺ではこの老夫婦の長寿を祈ることとする。この先ちょっとした峠越えだが地元人の 意気込みだろう石を敷き詰めたところがあった。行き来の村人や、また偉い人に気持ちよく通ってもらいたい 温かい気持ちが嬉しい。足がだいぶ疲れてきたので、なはりの村に入ったところの流れついて育ったのか、やしと バナナの木のふもとでしばし休憩を取った。黙って休憩したいのにめぐが話しかけてきた。「大師さんが好きに なった人は今までに何人いたの」「何人もいて数え切れない」「ほんとに」「・・ほんとだ」「相手も好きに なってくれたの」「もちろんだ」「でも何人もいるということは一人一人長続きしてないということね」「・・ 」「捨ててきたということね」「・・男っていうのは女に分からないだろうが何人でも同時に好きになれるんだ」 「女ではできないことだわずるい」「だから今まで好きになった女とは今も続いていると思っている」「という ことは女の方が絶縁しないと別れられないということね」「すっぱりと男を忘れる女は冷たい」「女に失礼よ」 「・・」「女はね現実になるのよ」「・・」「全部ほしがるのが女よ」「そうだよな最初は居てくれるだけで いいと言っていたのがやがて強い男そして経済力のある男と次々に要求が出てくる」「女はいちばん大切な ものをあげるのだから当然でしょ」「女だって・・」「いいえ女はあげるたびに段階が上がっていくの」「男は もらうたびに段階が下がるか・・」「だからすれ違いが生じるの」「ということは男女の仲は平行線のままが 永く続くということか」「平行線って」「あかの他人のまま接することが一番長く続くってことだ」「ぬくもり 感じず寂しいわね」「そこが矛盾の始まりだ」。そこで栖自住職割りこむ「だから嫁を持たない坊主は誰に でも均等に永く接することが出きる」「坊主の基本は見返りを求めない付合いだ」「まず坊主の修行とは女を絶つ ことだ」。めぐ「女を諸悪の根源にして失礼ね」。全員「堂々巡りとなる」「だから悟りを求める」「悟っても悟 りは続く」「悟りも堂々巡りとなる」「死ぬまで修行ってこのことか」。 再び歩き始めやすだの村に入り一気にこうのみね関所寺を目指そうとすると、小川沿い道端のおばあちゃんより 声がかかる。「もう日も落ちるでやめときな」「きつい山は朝一番で登るんや」「うちに泊りな」と宿も兼ねると いう「きちはま」さんの民家に招き入れられた。1200年の昔には珍しい二階木造建てである。「うちのじいちゃん 器用やて家重ねて作った」と二階の二部屋の一間をめぐに、残りを男ニ人に割り当てた。めぐは雑魚寝から開放 されご満悦の様子だが、我らは寂しいようなどうでもいいような。なっ、とこれまた珍しい一階の五右衛門風呂に ニ人で入り、続いてめぐが入る。またまた当時としては珍しい食事部屋で3人の夕食となる。一生懸命宿家業を 考えるおばあちゃんかみさんに感心する。そのおばあちゃんかみさんが夕食中付き添い、いろんな旅人遍路の 話しをしてくれていると、突然揺れ始めた。「地震だ地震だ」「外に飛び出せ」「荷物とリュックを取りに行かね ば」「間に合わん」と外に飛び出た。目の前でじいちゃん自慢の二階建て崩れ落ちる。崩れた二階からリュック を引き出し終わると、ゴーと音がした。聞き覚えのある音だ、そうだ御蔵洞の津波の音だ、山へ逃げろと叫び しっかり栖自住職とめぐの手を引き走った。大きな津波が押し寄せてきて、あっという間に呑みこまれ3人手を つないだままもがき苦しむ。また塩水を思いきり飲み気を失い死んでしまう。死んでなかった。気が付くと 納経所前の縁台で横たわっていた。21世紀に押し流されたようである。大勢の21世紀遍路と関所寺「二十七番」の 札を打つ。苦しんだようでもあり、知らぬ間に楽に来たようでもあり、とにかく越えられた。住職の奥さんらしき 人が下の檀家から貰ったという皮が薄くて甘い「高知のすいか」をお接待でくれる。下って帰りに浜吉屋を見る と立派な二階建てになっていた。サイクリングロードそして琴が浜と過ぎ高架沿いを行き海と別れ野市へと入って いく。「二十八番」大日寺を打ち、下ったところで家財一切乗せたと思われる大きなリヤカーを引いた老遍路が「 わしゃゆっくりとまわっとる」「とくしまでは公園で三ヶ月世話になった」「そこの連中はみないい奴ばかり だった」「大学教授もおった」「リヤカー引いとるけん車道しかいけん」。「手段が目的になる」「目的が手段に なる」。一生まわり続けるように見えた。そのころ3人はずいぶんと歩き、くたびれかえって脳に酸素が巡っていない。 3人の会話は日本語単語10個ほどで済むようになっていた。「あー」「いー」「うー」「えー」「おー」「いく」 「とき」「ごだん」「かつ」「よう」、すみません、疲れると男はほしくなるのです。意味不明で理解できない 方に解説しますが、お下品嫌いな方は次ぎの「「すみません」」まで読み飛ばしてください。男が初めてのときは 「あっ」で始まり、癖になってくると「いーーい」となり、良さの頂点を知ったころには「うっ」となり、衰え始 めた歳になると「えーー」となり、衰え終えた歳になると「おーおお」となります。いずれも快感感じいくとき 発する声であります。「「すみません」」。気持ちよい田園風景の中にある都築さんちの無料接待所でダウンし 宿泊願い出て許可いただく。いろいろお接待いただき、疲れのとれた身体であっても翌日出発できなかった。 その日から農作業を3日お手伝いさせていただいた。いやさせていただいたというより歩き続け足は強くなったが 上半身はほとんど負荷がかかってなかったので、上半身を多用もする農作業は肩こり防止に最適だった。 気を使う都築さんに私は「これは標準的な遍路の標準サービスであってお返しのお接待ではありません」、白い 歯が光った。「二十九番」「三十番」と打ち付ける。三十番善楽寺前で待つタクシー運転手に「ここらへんで 美味しい昼食の店はありませんか」と聞くと「ここらへんにはないなぁ」「はりまや橋あたりまで行くといっぱい あるがよさこい祭りで人がいっぱいじゃ」。よさこい祭りと聞いて隣りの県に住みながら有名なよさこい祭りを 生で見たことがない。めぐも栖自住職も祭りと聞いて興味ありげだったので、今日はここで打ち止めと宣言。 タクシーに乗りはりまや橋に向かう。はりまや橋の帯屋町アーケード街では「ちゅうちゅう」の声がよく聞こえる。 高知弁では語尾にちゅうを付ける。「なに言うちゅう」てな具合である。突然どんどんと強烈な低音とディスコ 風の音楽が聞こえ始め若い男女が踊っていて、しかもアーケード下を連なっている。以下某遍路紀行文を引用する。 ---引用開始--- 初めて見るよさこい祭り。「よっちょれよっちょれよー高知の城下にきてみいやじんばもばんばも・・・」 なんとも大きいごう音、それに皮膚が振動するほどの低音、艶やかな踊り子たちの前後左右へのスロースロー クイッククイックの足さばき、斜め上そして下、頭上で左右に振る鳴子手さばき・・、見事なモーションの 連続である。土佐女性踊り子の汗が噴出し紅潮顔、色っぽい。思わずにやりとし鳥肌がたつ。素晴らしいの一言。 東京ディズニーランドパレードの和製版だ。南国ムードたっぷり。 ---引用終了--- たっぷり堪能したあと、近くの高知城にも行き吹き抜けの天守閣で南国の涼しい風で居眠りする。 ひろめ市場で食事し、正時のはりまや橋のからくり時計を見て駅前ホテル泊とする。
第9回(2002/04/01)
今日の朝は遅く起きゆっくり朝食して、11時過ぎにタクシーで善楽寺に戻った。通し打ちはペース配分を考えない と続かない。ペース配分を考えられないときや分からないときはゆっくりに限る。21世紀と1200年前とを行ったり 来たりのわれわれ3人はなおさらペース配分が分からない。霧雨の一日だ。竹林寺への遍路道を調子があがらず とぼとぼと進む。高知市中心部から少し外れたここらは田園も残りまだら模様の街だ。めぐを挟んで栖自住職と 男の会話となる。栖自住職「昨日の続きだが男と女の付合いは難しいが男同士は簡単単純でいいのう」、私「そう ですねぇ」「当然ながら結婚ということを全く考えなくてよいので複雑にならない」「という比較ができるという ことは栖自住職も女にてこずられたということですね」、「そうじゃわしは坊主になるのが遅くてな25でこの道を 選んだ」「それまで女がいてもずっと一緒に居ることが苦痛だったんじゃ」「一人が気楽で都合のよい ときだけ女が居ればよかったししかも気が短かった」「痛いほどよく分かる尽してくれる女だった」「それ だけにいじらしく思え可愛かった」「その女はだんだん気持ちが高鳴らせますます尽くした」「そのしぐさの女に はまっていくわし自身が気に入らんようになった」「高等な教育を受けているわしは理論でなびくが感情では なびかない男なのだ」「結局高等な教育を受けていない昔風の女に納得いかなかった」「で完璧な理論で極楽浄土 を求めるこの道を選んだ」「ストーンと落ちたと女は去った」「しばらくして別の男と一緒になった」「責める ことは出来んが女の身体本能で生き女本来の子供を産み育てるという人類発展のための女だった」「男は誰でも よかったんじゃ」「男の違いがわからんかったんじゃ」。間のめぐは言いたいことがあるようだったが押し黙って いる。私が栖自住職に「何千万人もいる女の中の一人で一生の道を決めるのか」と言うと「初めてが一番心を動かし 印象付ける」、私が「何千万人いる女の中の二人目でも二人目が初めてとなり結局何人目であろうと初めてと なるのではないか」「結局人生いくら経験積んでも女に限らず何でも一回目の初めて二回目の初めて三回目の 初めてと永遠に初めての連続となる」、「そうだから一回で決めるのが最小限の無駄で済むのだ」と栖自住職は 結んだ。話し変わって私の一人演説を始める「サザンの桑田の嫁の原由子が昔のヒット曲を歌って癒し系と話題」 「聞いてみたが勢い有り余る人にはブレーキとなり良いが、どん底這っている人は癒ししすぎて死んでしまう」 「いろんな状況の人がいるのだから一概に癒し系との宣伝は処方ミス」「私はディズニーのたたたたたたたぁ たたたたたたたぁたたたたたたたたたったったぁの曲が好きだ」「なんの曲かわからないって」「瞳閉じれば 貴方がいいて・・だよ」また話し変わって「抱き合って寝たときよくどちらかが温かいと言うでしょ」「あれは冷たい 人が温かさを貰っているんだ」「だから温かい人は冷える」「そして結局同じ温かさになる」、「これはお接待 についても言える」「余裕のある人は余裕のない人に温かさを与えることによって自分の幸せな状態を分け与え 幸せのオーバーヒートを防ぐ」「貰った人は幸せへの暖気運転ができる」「結局人間はプラスマイナスゼロで終わる ということ」「だから今まで生きた分の幸せの足し算と引き算をしてみると今後の状態が分かる」「人は皆平等だ」 。次ぎは押し黙っていためぐが始める。「男は勝手」「自分をなんぼのものじゃいと思う」「そりゃ女は泣いたり 甘えたり怒ったりの武器を使うが受身の身の女の知恵」「その武器の効かない男となればただの他人」「このように 男を選んでいく」「女は自分にない性格を男に求める」「それで平均の優秀な子供ができる」「だから人類を 発展させているのは女による選択のみで男に選択権ない」「だけど子育て終えると女も女でなくなる」「男の ことがよく分かる女になる」「子育て手伝い終えた男は逆に女性化する」「この逆転現象でうまく行かなければ 女は若い男へ走り女性化した男は対象なくなり孤独味わう」「そのとおりプラスマイナスゼロとなる」と我慢を 男言葉でまくしたて3人持論を終えた。三人寄れば文殊の知恵かなと、その後は無口で五台山登り、文殊「三十一番」 竹林寺を打ちつける。栖自住職もめぐも21世紀の遍路道に馴染んできたようだ。峰寺の300メートルほどの山道を 私は五体投地で登る。雨で濡れた土が両手両足顔面に塗り重なる。全身の筋肉を使うので相当こたえる。歩きの15倍 ご利益がありそうだ。ご利益といえば歩き遍路と車遍路のご利益の違いについてであるが同じ四国遍路であっても 全く別物だ。あえていや無理やりご利益比較すれば15倍だろう。五体投地の石段登りは目立ちあちこちから拍手が 起こる。四国八十八ヶ所を五体投地で巡っているとはすごいとの声が聞こえるので「ここの登りだけですよ」と 言い訳「三十ニ番」禅師峰寺を打ちつける。拍手有頂天で降りも五体投地するが下に向かっては怖い怖い。 平地で元の歩きにもどり、そういや四国八十八ヶ所を五体投地で全て巡り終えた人の話しを聞かないのは道路事情も あれば、ちょっと格好悪く見えるのも原因かも知れない。住宅街を真っ直ぐ渡し場へと向かう。今度も私だけ 走る修行する。住宅街にリュックの揺れる音と激しい息遣いが響く。速いもので30分ほどで着き歩きの後続を待つ。 走ればご利益は何倍かなとまた考えるが走っても一日の距離は歩きとほぼ同じなので等倍とする。 後続の2人に今度はリュック衣服を預け私は泳いで浦戸を渡ることにする。危ないからやめときなとの声が聞こえる なか平泳ぎ開始する。いろんな船が狭い水路を行き来するため危ないなと感じるのでこれは迷惑をかけることだと 反省する。20分ほどで対岸の船付き場で待つ2人と合流する。納経締め切り直前に慶運「三十三番」打つ。 つや堂を願い出て許可される。つや堂で大人しく早寝せず中央公園前のゆうこさんの店に土佐料理を食べに行く。 うまい安い面白いの三拍子だった。有名な大きな店は地元の者は行かんというのを聞いたことがあったが以前 大丸近くの店にへんこつの私はあえて行き、値段は高いが綺麗に盛り付け店の雰囲気もよく店員も爽やか で県外人はとっつき易いと思った。ゆうこと名は同じだが別のゆうこの町高知は格別雰囲気感じる街だ。 近所の今流行りのスーパー銭湯に入り酒豪の高知に見習いビール追い酒し気持ちよくつや堂に帰り熟睡する。 朝納経開始の奥さんにお礼を述べ今日は36番まで気合いれるぞと出発。昨日とは一転快晴だ。 ばちっと遍路衣装まとった3人組の女性遍路と偶然一緒に歩くようになった。聞けば今回ここよりの区切り打ち らしい。リーダー格のみはるさんは「私の歩きのスピードを追い越すには空を飛ぶしかない」と豪語する根性持ち 主で、話しは明るく話題豊富で退屈しない。私達のことを根掘り葉掘り聞かないから余り関心がないようである。 というより初対面だから当たり前かな。その健脚ぶりは初日とはいえ速い。みるみる隊列がばらけていくが 「三十四番」種間寺を打ち35番手前で迷っているところに追いついた。一緒に35番の登りを行くとき事件が起きた。 喉が乾いたというみはるさんが山からホースで水を引いて出しっぱなしの水を飲もうと手で水を受けた瞬間その出口 からへびが手のひらに滑り込んだのである。びっくりして転んで腰と足を打ち足首を捻挫してしまった。私は上から 追っ払わなくてはならないのに下からへびを杖で追っ払うと向かってくるように下へ這って来る。一難終えみはる さんは歩ける状態ではなく足首が大きく腫れていた。連れの2人は「病院いかなくちゃ」「リーダのみはるが歩け ないなら私らもここで終わりにしよう」と言っている。みはるさんは何度も「ごめんね」を繰り返していた。 呼んだタクシーが来て3人は病院へと行った。初日からの撤退さぞ無念であろう。何が起こるか分からない人生 の縮図が遍路行でもある。私ら3人はよりいっそう道ぶちの草むらに目をやりガサッとの音には特別神経をめぐらし 登って行く。「三十五番」清瀧寺を打ち、その山道を下り塚地峠へ向かっているとき、災難は続けて起きた。 交差点で信号待ちしている私のつま先を左折のパトカーが内輪差でひいたのである。「痛い痛いぞ」の声に止まった。 「どうされました」と助手席の警察官が降りてきた。「足をパトカーに踏まれました」と次げると運転席警察官も 降りてきて「大丈夫か」「病院へ行く」と結構ですと言う私ら3人を後部座席に乗せ先の病院に運んだ。 幸い指先が赤くなっている程度の超軽傷だった。廊下を通っていると、みはるさんの連れ2人と遭遇しここに 入院しているとのことで会いにいくと全治1ヶ月だそうだ。みはるさんは「お大師さまが今回は会いに来るなと 言うことです」「明日神戸へ帰り安静にします」「治ったらお大師さまに好かれるよう三つ編みして来ます」 と明るい。もういいのにと言うのにきっちり現場検証すると言って再びパトカーに乗り区切り中断地点に戻り、 通行中の一般車にじろじろ見られながら検証終え歩き再開。結局時間がなくなってあまり先に進めず塚地峠登り口 の休憩所が宿となる。
第10回(2002/04/02)
野宿も慣れてくると熟睡できる。宿を予約するとどうしても宿まで行かねばならないが野宿は思い付いた場所で 泊れるため行程が自由になる。車遍路がよく遍路道上で車中泊しているのとはちょっと違う。車の場合は最寄り の宿まで余分に走っても人のエネルギーロスはほとんどない。宿泊費節約というのが車中泊遍路の最大のメリット だろう。だから自宅が動くようなキャンピングカーやベッド備え付けの車はその極みだろう。その車たちの走行 騒音によって目覚めの朝となる。栖自住職もめぐもすっかり中毒になった昔はネッスルといっていたインスタント コーヒーをたっぷりと飲みカンパンをかじって朝食とし後片付けし塚地峠道へと入る。峠を越えるのは楽だった。 下りに入ると楽になるのと朝のうちは元気ということで細い山道一列になって前後で会話が弾む。口火を切るの はめぐだ。「お遍路さんて純粋な人が多い」「そして純粋な分歳も若く見える」「話しを聞いてると夢心地になる」 「世の中の人全員がお遍路さんばかりだったらいい世の中になるのに」。いつも分かったことを言うめぐに私が やはり分かったようなことを言う。「お遍路ばかりの会社があるとすれば競争力あるかな」「白衣のような質素な 服しか必要ないからファッション業界は潰れる」「お遍路全員が托鉢すれば誰がお金を出すの」。栖自住職「は はは」。めぐ「どうしてあなたはそう極端なの」。私「極端例が分かり易い」「お遍路は日常生活の汚れの洗濯に 来ているのだ」「汚れが落ちたら日常に戻って経済活動やらねばいけない」「専業のお遍路は日常の経済の 中で成り立っている」「専業のお遍路さんの中で日常の経済が成り立っているのではない」「だが日常の経済は 汚く醜いことが多い」「だから純真で美しい人間本来の気持ちが汚れる」「汚れをお遍路に出て落とす」「お遍路 道は洗濯機だ」「よく落ちるようにとお接待してくれる人は洗剤である」。めぐ「極端だけどなんとなく分かる」。 栖自住職「そうだな坊主ばかりでは困る」「洗濯しすぎると生地が傷む」「経験とはうぬぼれである」「日常でも お遍路の非日常でもほどほどにということじゃ」。会話が途切れたころ宇佐の海に出た。バブルのころの名残か 大きな海鮮レストランが潰れていた。日常の商売の大変さの跡だ。商売は大きくなったときに潰れる。きっと 小さな店でそこそこの繁盛だったのをブームで団体が魚介類を食べにくるので客を逃がすまいと大きくした。 ブームが去ると固定経費が重くのしかかって耐えられなくなった。何日か前にも悟ったが人間プラスマイナスゼロ で終わるということを考えると、大きく儲かれば大きく損するし、こつこつやれば小さく儲かり小さく損する。 大きければ巻きこむ人多いし小さければ少ない。宿縁多いか少ないかということ。波乱万丈に生きるか石橋渡るか だろう。商売の基本は物物交換、自分の物を自分の目で相手の物を見定め交換する。だから自分が直に見える範囲 が接待圏、その接待圏の中で動きがよくなくてはならない。自分名義の固定の店では商圏がずれたとき愛着で 手放せにくく動きにくいので貸し店舗が基本。「接待圏で自作物を遊牧民的に見定め物物交換」それ以上の商売は 基本的に合法詐欺行為と言われるお遍路洗濯が必要になる人々のビジネスの世界。派生ビジネスなどは100パーセント お遍路洗濯が必要になる世界。あなたのお仕事は理屈こねくりまわしたあってもなかってもよいものではと考えて みましょう。「三十六番」打ち宇佐大橋を打ち戻るとくねくねと浦ノ内湾を行く。道がくねくね曲がっていると3人 の話しも曲がって曲がってする。私「フリーマーケットというのは商売の基本を見ているようだ」「若い子の心から のいらっしゃいませの声がよい」「フリーの意味はのみの市のことだ」。めぐ現代衣装評論「パンツは赤がよい」 「ズボンは黒」「シャツは白」「帽子は黄色」「靴も赤」。栖自住職「ソフトクリームうまい」「たこ焼きうまい」 「アサヒビールうまい」「はじめての焼肉うまい」「モスうまい」。話しが噛み合わない。間もなく単語の数も 少なくなり黙々とひたすら歩きの世界となる。37番は遠いなと遠くを見ると20人ほどの歩き団体遍路が前方を行って いる。その団体が道端で休息を取ったので我々追いつく。高田明日子さんらの一行だ。私らも「お疲れ様です」と 隣りにお邪魔し座り込む。いろいろ団体ならではの話しを伺った。「歩調が合わないし」「会話内容も合わない」 「団体だとお接待の声もかけられにくい」「地元の人とのふれあい少なくふれあいは同行の人となる」「この人らとの 人間関係も修行と思えてくる」「ある寺の境内で托鉢している人に最初私らの先達さんが千円するものだからそう しなければいけないのかと続いて20人が千円ずつしたら托鉢の人喜ぶやら驚くやら」「非日常の世界というと ディズニーランドとかUSJとか音楽コンサートのように夢見るようにずっといたい世界じゃないですか」「歩いて いることの疲れもあって団体行動の難しさを感じ日常の延長という感じでもう帰りたいと思うこともある」「今日 は一日黙って歩きましょうなんて日はほっとすることもある」「でも女性が多いから団体だと心強いし安心するし 話しが合えば盛り上がる」「女性単独でのお遍路はなかなか勇気がいって慣れるまでは出来ない」。 女性の香りむんむんとし華やかで結局楽しいから続いているのだろう。お先に失礼して出発する。須崎まで着た ところで若いカップルの車が止まり「さっき用事に行ったときすれ違ったので気になっていました」「今日の宿が お決まりでないなら我が家をお接待いたします」との申し出をいただく。「どうしてそこまでお接待を」と聞く と「私も歩き遍路したときに数々のお接待を受けましたのでそのお返しをしなければとの思いからです」「遠慮 なさらずどうぞ」の声に疲れた3人歩き止めた位置を確認し車に乗った。その家は新築でしかも新婚であった。 フローリングの間に接する八畳の和室にくつろいだ。お風呂をいただき、そして夕食時に詳しく自己紹介する。 めぐと栖自住職は1200年前から来たと正直に紹介するが本気では聞いてもらえなかった。楽しい会話のあとお疲れ でしょうと気をつかって部屋を出られ我々は午後10過ぎには寝ていた。朝このお接待のお礼をということで 連休ご主人がやりかけていたブロック塀作りを一日手伝う。乾けば仕上げモルタルを塗り白ペンキを塗るそうだ。 また宿泊お接待をいただく。翌日ご主人の出勤の折り歩き止めたところで降ろしていただき歩き再開する。 そえみみず遍路の入り口付近で私の腹の具合が悪いのでイライラする。大通りのコンビニまでトイレを借りよう かと思案し動けない。これを見ためぐ「なにぐずぐずしているの」と体調良さそうだ。異性に「ウンチが」とは 言いにくい。もぞもぞしていると切れてきた。「さっき本来の旧遍路道を歩かないでズルしたでしょう」と 言うのでほんとうはトイレを探して分岐を真っ直ぐ来て旧遍路道に合流したとは言えず「お大師様やって本当に 遍路道を歩かれたかどうか分からん」「その付近を歩けばそれが遍路道だ」と答えると「そんないいかげんや けん借金ができた」ときたのでこれにはカチンときて「それなら元まで戻りまたここまで来んか」と言うと 「もっいい行こう」ときた。私はむずむずして動けない。「なにしよんもうほんまにもうやめるで」に私も切れ 罵り合う。それを近所の民家の人が聞いてて栖自住職が笑って説明している。その民家の隣りのおばさんが出て きて「休憩していきなされ」とお接待してくれるが、その優しさにトイレまで貸してくださいと言えず我慢する。 ここで私のこだわりともろさを紹介したい。私は人前でおならをしない主義で、ましてや女性の前では上品その ものである。山道などシーンとしかもトイレがないとなると緊張でもよおしだし腹がごろごろし出そうになる。 見られたくない聞かれたくないとなると肩が急に凝り我慢できなくなる。だから出発前はきちっとトイレするが 他人の家など落ち着かない場合はすっきり終わらない。だからこうなる。山道でもめぐが時々様子感じて距離を 置いて歩いてくれれば隠れて処理もできようがピタッとくっついて歩かれれば逃げようがない。めぐも人間なら 同じ体調と感覚分かるはずだが1200年前の女は胃腸とプレッシャーに強いのかなぁ。その他私はシーンとした クラシックの身動きできないコンサート会場やバスに乗って突然動かなくなる大渋滞に巻き込まれたりにも 弱い。そんなんで下腹部に負担のかからぬよう歩幅半分で登り、そのことを考えないようにするが考えてしまう のでいざというときのためにと必需品トイレットペーパーをリュックから取り出し持ち歩く。そうして覚悟を決める と楽になりなんとかそえみみずを乗りきった。栖自住職はにやにや笑い続けていた。いつでも用足しできる店が 建ち並ぶ安心の国道沿いとなる。安心するとジュースやら軽いものが食べられる。ついに37番手前の道の駅トイレ で全員ですよ目的果たす。五本尊「三十七番」岩本寺打つ。天井画が夕闇の照明に映えて見事だ。宿坊泊。
第11回(2002/04/03)
昨夜のめぐは美しかった。というより風呂に入り夕食に同席した女性遍路は皆美しく輝いていた。失礼ながら 「湯上り5分の魔法にかかっていた」状態だった。風呂に入ると血行がよくなり顔が赤らむ。そして水分で潤う。 さらにリラックスムードも重なり、ノーメイクながら18歳前後並みの色艶となり、髪をアップにしているうなじ 丸出しが極めつけとなる。でも本当の18歳前後の女性以外は時間経過とともに魔法が解けていく。女性から見て 男にその5分の魔法はあるのだろうか。恐らく男に対しては好きな場合は永遠に魔法にかかり嫌いになるとさっと 解けるのだろう。決定的な男と女性の視点の違いかも知れない。そう言えば長年付き合うと「愛情」の愛が無く なって「情」だけになるとは女性の言葉だ。「愛=魔法をかける」「情=魔法を解く」の呪文だろう。 朝の勤行を終え出発となる。ここのところよい天気が続く。窪川町環境美化センターを過ぎると下るだけの坂と なる。「片坂」と呼ばれる所以だが時間をかけて少しずつ上ってきていたのがここにきて急激に下りだしただけ である。国道をショートカットする遍路道はところどころ大きく荒れており下りだけに難所と感じる。国道に戻って ほっとしたところの先に一軒の酒屋がぽつんとある。店内は昭和30年代の食料品店の趣きで、店先に用の済んだ食卓 椅子を出してあり疲れたお遍路の身体を誘っているかに見える。誘われて腰を下ろすとおばあさんが愛想を振り撒い てくれる。「出しっぱなしのそこの水美味しいで」「有名人もいっぱい寄ってくれる」「このあいだもおかりなの 娘さん寄った」、愛想に応えたのではないが狭い通路の店内でいろんな昔風のお菓子詰め合わせを買う。近所の民家 では何方が無くなったのか多くの喪服の人が国道沿いに車を停めていた。花環も相当多く並んでいてきっと偉い 有名人が無くなったのだろう。霊柩車の一団がこちらに向かってくるので手を合わしお経を唱える。ここまで寺を 巡ってくると自然に出来てしまうのだ。車中の人と目が合い黙礼する。きっとこの偉い有名人もプラスマイナスゼロ で亡くなったであろうと見えなくなるまで祈る。佐賀温泉隣りのうどん屋の繁盛の輪に加わり昼食とし満腹となった 腹を抱え、せかされるよう店を出て店前に座り込み休憩。ぼーとしていたいのだがめぐがちょとした兆発を入れてきた。 「豪華な昼ご飯期待するのやめた」「貧乏するとまともなご飯もたべられないの」「きちんと三食食べて育ってきた」。 カチンと来た私「普段と違う修行しているのだからいつも通りとはいかない」。めぐ「立場が悪くなると修行という 言葉で逃げるのね」と通し長旅の疲れとお互いの身の上と性格が分かり懇意になったわがままからか言いたい放題。 私「口に出す前に一度心の中で言ってみろ」「相手を思いやる気持ちがあれば半分も口から出せないはずだ」。 めぐ「一緒にいる者同士でどうして気を使ってもの言わないかんの」。私「一緒にいるからこそ遠慮もいるんだ」。 めぐ「私のことまだ分かってくれない」。私「どうしてめぐのペースやめぐの思い通りしなければならないんだ」。 めぐ「女をいたわれない男は最低」。私「どうしてそう自己中心的考えになるのだ」。栖自住職「まぁまぁまぁ」 と仲裁。この後この溜まってきていた行き違いが爆発してとんでもないことに至るとは考えもしないで、根を残し 出発。旧道熊井トンネルを抜けHOTSPARで追加栄養補給し、鹿島が浮かぶ美しい太平洋に再会する。先ほどのこと は忘れ美しい海岸線を堪能して3人行く。井の岬トンネルを過ぎたあたりから全員足取りが重くなってきたが、海に 浮かぶように見える足摺岬が「ここが全行程の半分のところだ早く来い」と元気付けてくれた。民宿ビッグマリンを 近所に居並ぶ宿の中からめぐが選んだ。私は隣りの民宿みやこに興味があったが、めぐの選択を尊重した。女性が 好みそうな洒落た外観をしていた。夕食もこれで採算合うのかなというほど品数並んだ。私と栖自住職はめぐを誉め たたえた。めぐは「でしょうだから私に付いてくれば間違いないの」と調子に乗る。食後ゆっくりくつろいでいると めぐが「珠数」がない、途中落としてきたようだと騒ぐが、今日の長丁場では探しようなく軽く「あきらめろ」と なだめ、余分な話しで「珠数はほんとうは数珠が正解だが言い易いので今はどちらも正解としている」と知ったげ な話しにめぐはカチンときたのか「あなたが歩きを急がしたから大切な珠数落としたの今すぐ探してきて」と剣幕、 どうして私のせいになるのか迫力に負け具体的にどこら付近で手から落としたか聞き出すと、栖自住職「おいおい この暗いのにしんどいのに探すんか」ともう歩けんので寝たい様子。私「寝ててください私が探してきます」と夜道 の逆打ち数珠捜索に出た。懐中電灯と通りすがる車のヘッドライトの明かりを頼りにその落としたらしい区間を三度 往復するが見つからず、疲れ果て朝方帰ると「よく探したのとも取れるありがとう」のめぐの言葉に、この三往復の 目を凝らした努力を語る気も起こらず残った少しの夜を熟睡した。目を赤くして朝食をいただき出発した。 競走馬らしい馬舎横を通りサーフィン客とキャンプ客で賑わう入野松原行く。夏真っ盛りの若い男女がまぶしい。 広々し整備された運動公園先の橋を渡り双海分岐へきた。右折を勘違いし一日数便しかない渡しの道をしばらく歩い てしまう。気付き戻るがこのロスを気に入らなかったのか数珠の恨みからか、めぐが「ほんとにちゃんと調べたの」 「こんな間違いばっかりでぇ」「ほなけん気いつけよと言うたで」と阿波弁丸出しで、たらればをまくしたてた。 私も負けてはいない「ほれだったらめぐがみなせぇだ」「後ついていくでわ」「ほんでちょっとでも間違ごうたら ほれみいというちゃる」。めぐ「ちゃる」「阿波弁に土佐弁まぜるな」と語尾揚げ足とりし始めた。道路工事中の両脇の 山に大きな怒鳴り声どうしが響く。栖自住職は呆れ顔で他人事のように離れて付いてくる。四万十川大橋を過ぎて 堤防下に民家が建ち並ぶ堤防上でもばバトルは大声で続き、民家からはお遍路どうしの珍しい喧嘩を見られ、見られた と分かった瞬間だけ私とめぐは民家に引きつった笑顔を返した。借金の話しまで行きついたところで髪の毛の掴み合 いとなり髪の少ない私の優勢勝ちとなった。ポツンと私「辛い思いをしていろいろ捨ててここまで来ているのだから」 「だから余計楽しくいかなくちゃ」と男涙見せる。めぐ、男涙見てこんなごづい男も泣くんかと奇妙な笑いを浮かべ 「私もいっぱい犠牲にしている」と一言。両者言葉で言い尽せない万感の思いが互いにあることを暗黙確認して沈黙。 栖自住職が走り寄って止めに入り「腹減っているときは喧嘩早くなる」「複雑な話や交渉事は満腹にしてからやると うまくいく」「美味しく高い料理ほど効果大だ」と周りを見まわすがうどん屋しかなく入り、その店の名前のついた 一番高いうどんを食べる。一応落ちついた足取りで長い伊豆田トンネルを通る。めぐ「ここ長いトンネルの真ん中よ」 と同じ数字が左右に並ぶところでおどけて見せる。回復力の早い女だ。今晩の宿を前にして男と女は体力違うんだと ラストスパート歩行で意地悪したが、負けじと付いてきた。栖自住職はマイペース守っていた。下の加江の安宿着。 風呂に入ったあと食堂でご主人の遍路道案内を聞きながら新鮮夕食に大ビール三本ぐっと飲み、寝不足の身体は爆睡眠 となる。翌日も朝からスカッした天気だ。久百々で地元人との話しで、高知でも窪川からこちら側は土佐弁使わない。 ここらへんは高知より愛媛の影響を昔から受けてきた。だから高知じゃないと言う。久百々(くもも)なんて地名は 確かに高知らしくないよう感じる。左手の海はハワイの海の色と同じだと言うとめぐが「ハワイ行ったことがない」 「ハワイ行きたい」1200年前の女はすっかり21世紀かぶれしてしまっている。砂浜が縦に長く見える大岐の海岸に やってきた。海にそそぐ小川を渡り遍路道は海岸の砂浜に続く。めぐにラスベガスの海と同じだとからかう。「ラス ベガス」の海も行きたいとはしゃぐ。ラスベガスに海があるのかよう。ここで母を思い出した。サッポロ冬季オリン ピックの頃私に母は「サッポロってどこの国ぞ」と聞いてきた。オリンピックと付けば外国と思い込んでいる無学 の母だが一番尊敬している。だって女手ひとつで働きづめで私を育ててくれた。だから私は高等教育を受けなんでも 知っている物知りの人だからと言うだけでは決して尊敬しない。私を身の立つようにしてくれる人を尊敬し、私も そのように尊敬される人になりたいと思う。以不利、窪津、津呂と一発漢字変換できない地名が続く。午後2時過ぎ に足をひき摺り「三十八番」金剛福寺打つ。半分の距離を歩いた記念に岬近くの高級ホテルで宿泊。食事は 皿鉢料理は飽きているので豪勢な中華風料理にする。あと半分の距離だねと祝杯を重ねすっかりご満悦になり、それ ぞれの部屋に戻った。しばらくしてノブをまわす音がするので開けてみるとめぐだった。「夜の岬を散歩しましょうよ」 と誘われ二人で散歩に出た。昼間と違って夜の展望台は誰もいない貸切状態で私達以外の人の気配はない。 そこではムードが盛り上がるのかなと男心が期待したが逆にとんでもない大変な事態となる。男勝りのめぐがこれ までの自分の成果のみを強調して都合の良いところだけを引き合いに出し独力でここまで来たように話し始めたので ある。負けん気の強いめぐは私を下に見ていて、これくらいのお遍路は一人でもできる。助けてやって連れてきた なんて思われたくない。逆にあなたをいろいろ助けている。忘れているのはあなたで、あれもこれもといちいち言う。 確かにそうだが、その何倍も私は尽している。喜ばれるようにと気遣っているのに、ああ言えばこう言うで控えめな ところがない。尊敬されていない私だから説得力がないと聞かず、用心深くて人を信じず、すぐ揚げ足を取る。 しかも不快を感じるとすぐ人のせいにし第三者に悪口愚痴ぺらぺら言う。それを悪口愚痴と感じてないから悪口愚痴 なんて人に言ったことないと言い切る。自分で自分を正当化するから始末に終えない。最後にそんなんだから借金が できるとののしる。「おまえみたいな奴はゴツンと一発殴って目を覚ましてやらんと治らん」と初めて女を殴る。 めぐ切れて「女を殴る男は最低、今まで親にも殴られたことがないのに」と殴り返してきた。「どうして一言ごめん と謝れんのか」と更に強力に顔面にゴツンゴツンと二発。「血が出た」というめぐにハッとなり思わずゴメンとハン カチを出すが、それを振りきり更に「医者に連れて行け証拠を取る」「そして訴えて世間にお前はこんな奴だと 知らしめる」「そうしたら私を知る男どもは黙っとらん」「お前なんか足腰たたんようにしてもろたる」「それでも 殴れるんなら殴ってみな」。殴ってみなという言葉を黙らしたいために私はめぐの首を絞めていた。おもいっきり。 かわいいとよく言われためぐの声がしなくなって、ぐったりと私にもたれかかってきた。「おいっめぐ」と何度も 叫ぶが、めぐの首はぐらぐらと前後左右の自然の重力の方向にうなだれるだけだ。死んでしもうた。金剛界胎蔵界 無所得故菩提薩・・、経を唱え息せぬめぐを抱いて空と海に飛び出した。着いたところは1200年前の足摺岬で菅傘を かぶり遍路装束をまとった私が一人ぼっちで杖に寄りかかり北へと山中を歩いていた。頭の中はもういないめぐの おちゃめな仕草と思い出が巡り、涙が溢れ続ける。ずっと続く獣道を何も食べず昼夜歩き続け「三十九番」延光寺を 打ち本堂で死んだように寝る。明くる日も何も食わず懺悔の歩きを続け松尾峠を越える。行こう十夜ヶ橋、岩屋寺まで。
第12回(2002/04/04)
身体は大柄だが昔から喧嘩したこともなく、ましてや女性をたたいたこともない。その私がほのかに思う人をあや めてしまった。殺人者がタイムスリップして1200年前の神聖な遍路道を歩いている。私の歩いた後の道が汚れていく。 もう一度会いたい、あの日に帰りたい。普段傍にいても存在感の大きさを感じさせなかったが、失ってみて初めて分 かる大切な人。あぁぁ悔やんでも悔やみきれない。御荘の村の手前の大きな民家からおばあさんが駆け寄ってきて 「まぁまぁ大層やつれておられる休んでいきなされ」と縁側の12畳ほどの部屋に通される。「その様子じゃ死んで しまいます元気になられるまでしばらく泊っていかれよ」と主人にも勧められ迷惑をかけることにする。御荘の ここらへんは観自在寺のおかげでみんな裕福で信仰熱心な土地柄。私は甘え事情を話し硬い桜の木を所望した。初め て観音さまを彫ることにした。その観音さまは美人で八頭身で細くてグラマーで風になびくような衣をまとい大きな 瞳は一点を見つめている。身の丈25センチほどで三晩で彫り上げた。「よく身の丈の生活と言っていたなぁ」「すま んお前の大きさはこんなちっちゃなもんじゃない」「私がちっちゃくしてしもうた」「動かんようにしてしもうた」 止めど無く涙が溢れ続ける。日が経つにつれて忘れるとどころか益々鮮明にめぐを思い出す。めぐなしで一人では 生きていけない。辛い、お前のところに行きたい。今どこにいるんだ呼んでくれ。お願いだもう一度足摺の前に戻 してくれ。そうしたら俺の心は大きくなって何でも笑って許せる人間になる。めぐのわがままを全て受け止めてやる。 「あほになる」なんでも分かったあほな人間になって受け止める。理屈は言わん。「あほな人間にならなめぐと付き 合えんの」と言われても逆らわん。主人とおばあさんが「抱かれた観音さまもあなたの涙で濡れ泣いておられます」 「これから一生そのように泣いて暮らされるのですか」「そうしたら観音さまもあの世で一生あなたの涙で濡れ泣い て暮らすことになります」「よいですかその観音さまを観自在の寺の陽のよくあたる場所に建立しなさい」「私たち がお守りいたします」。菩提道場入「四十番」観自在寺打ち、居るだけで周りを明るくするめぐ観音建立。八百坂を 過ぎるとめぐも大好きだった宇和の海に出る。柏坂から観音連邦を拝み心地よいのだろう山道を一人寂しく行く。 柏坂も終わりかけたところに一軒家があり地元男どもにも有名な美人姉妹が住んでいる。「ちょっと休んでいきなさ い」と声がかかり縁台に腰掛ける。顔は普通と思うがなるほど男心を捉えた話しがうまく八方美人と見た。妹のほう はどうやら身重のようだ。前までの私なら男を出すのだがめぐが居なくなると他女に興味なくなる。めぐが必ず居て くれたから余裕で出来ていたことだろう。偉大なめぐ寂しいよぅ。松尾の峠を越え夜遅くに宇和島の集落に着く。 21世紀では宇和島城を中心に街が広がり郊外スーパーフジにもお世話になったが1200年の昔は何もない。夕食残りの 托鉢し、城山沿いの小川が流れるほとりで野宿する。小川の水は澄み切り、飲んで、洗濯し、風呂代わりにした。 21世紀ではここらへんに郵便局がありその前がアーケード街、その近くに飲みや街があったなとめぐをしばし忘れて いた。そういや21世紀に置いてきた栖自住職はどうしているのかなとも気になった。翌朝道なき道を城山に登って 展望を試み、樹木の隙間からちらちらと見える景色は下界に建物がないと別世界に見える。21世紀の城から望む360 度の景色を期待したが樹木に阻まれ空振りとなる。近所の龍光院に寄り朝食いただく。世話好きの住職より何故うち の寺でつやしなかったのかと怒られた。ここまで足が持たなかったのだ。本堂で一心に唱える私の姿を見て「何かが 起こっているようだが精進されよ道は開かれ待ち人現る」と言葉をいただいた。よく似た名の龍光寺を目指す。 ここの住職は龍光院の住職と違って代々喧嘩早い。気に食わぬ遍路は殴りつけるという噂もあるほどだが、私は根の 優しいところがあるのを21世紀の住職で知っている。そのつもりで「和尚元気ですか」「元気に決まっとる」「実は 好きな人をあやめてしまいました」「そりゃいかん殺生は絶対いかん」「私も死にたいです」「死んだらいかん天命 まで死んだつもりで宿縁尽くせ」「和尚喝を入れてください」「そこに座れ」となんと本尊さまの十一面観音を持ち 出し「めぐ観音の想いを知れ」と本尊で背中を思いっきり11回プラスめぐ観音の分じゃと1回叩かれる。「本尊さま もじっと奥に居座っているだけではないのだぞ」「こうやって本尊さまも時々動いて仏の道を身体で教えてくれるの じゃ」「これくらいにしておいてやるから次ぎの佛木寺の一番偉い大日如来さんにも渇入れてもらえ」、ありがとう ございましたと、痛「四十一番」龍光寺札を本堂に打ちつけ寺を去る。大日如来の待つ寺はすぐそこであった。 寺手前の民家から「これこれ怒られに行きよるな」と声がかかり二人の老婆から「怒られかた」を教わる。なんと その怒られかたとは寺に飼われている牛に蹴られるそうである。極悪人で死んだ者もいるそうだ。本堂で住職とお経 をあげたあと牛舎に閉じ込められ修行となる。牛は優しそうな目をしていたが突然私目掛けて突き進んできた。 私の眉間に角が突き刺ささると目をつむり覚悟したが、角は楠の柵に絡まっていた。住職曰く「大師さまの大日如来 眉間と同じものを牛も見てたじろいだのだろう」と。宝珠「四十ニ番」佛木寺を活喝で打つ。生かされていると感じ 寺を出る。このニ寺修行で歯長の峠も全然苦にならず越え、上げ石乙女「四十三番」明石寺を打つ。少し歩みが速く なり、鳥坂峠を越え大洲の集落に着く。夏というのに夕方から冷える。肱川を渡り十夜ヶ橋周辺の5軒の民家に托鉢と 一夜の宿を求めるが全て断られる。大師と同じだ、いや私が大師だと「行きなやむ浮き世の人を渡さずば一夜も十夜 の橋と思ほゆ」と少しでも冷えのないところの橋の下で野宿。寝ていると先ほどの5軒のうちの1軒の民家の娘さん が「先ほどは父が無礼いたしましたこれ食べてください」と大きなにぎり飯を差入れてくれた。優しい人もいたので ほっとした。その娘さんは昨日も格好のおかしい髪の短い女のお遍路さんがここで寝ていた話しをした。寝ながら 「お大師さまお大師さま」とうなされている声が聞こえたそうだ。ふぅーん女一人で大変だなぁと話しを終え寝ながら、 格好のおかしい女遍路ってどんなんだろうと一日先が気にかかるが、もう女には興味ない男になってしまっている 私だ。静か過ぎるのと時々通る人の杖の音で寝られない。21世紀の十夜ヶ橋は通行量多く、しかも更に上を高速も 通り騒がしかった。少々の冷え込みも重なり十夜でなくニ夜ぐらいに感じた。よく寝られないまま早起きとなった。 川沿い谷沿いの道なき道を、うちこ、おおせ、つきあい、おちあいの各集落と、しもさか、ひわだ峠を抜け、女一人 がそんなに頑張らせるのかと、やっとくま集落に着く。泊りは大宝寺に願い出て温かいもてなしを受けたのは私一人 であった。夜の勤行でも熱心な集落の人数人と私とだった。明日は一本道の打ち戻り道だ、縁あれば会うと夜の本堂 に半分「四十四番」大宝寺札を打ち、寝る。朝の目覚めは良く、足早に寺を後にする。険しい山道が続くが寺半分 と距離三分のニ超えた勢いで進むも八丁坂はきつかった。息を切らしてしまい峠茶屋で休みぬるいお茶と饅頭を注文 する。この峠のおばさんは「毎日槙谷から通っているがわらじが傷んでいくつあっても足らん」と言うので、お代 にリュックより登山靴を差し上げると「さっきもこの奇妙な履物を履いた若い女が通った」と心踊る言葉。おばさん に靴の履き方を教え付近を試し歩きしてもらうと「小石踏んでもちっとも足の裏痛くない」と大喜びする。私は1200 年前に21世紀の履物を伝授して歴史が狂わないかなと少し心配する。しかしこの不思議が当時の人にとってお大師 伝説となるなら、お大師さまは未来から来た人となる。奇妙な靴の若い女は誰なんだと先を急ぐ。右に落ちれば まっさかさまという崖渕を通り切り立った尾根道をいくつか過ぎると急激な降りになる。せりわりの行場で遂に追い つく。
第13回(2002/04/05)
こんなに気持ちが高まり切なさ感じる身体はどういうことだ。まだ見ぬ人に恋か、いやお大師さまに恋して歩いて いるはずじゃないか。21世紀の私なら「太ってはげて短足の見掛け三悪男に春は来ない」と尻込みするが1200年前 にワープしている私は格好いい。顔はよく見えないが直感「その人」のせりわり行を遠目に見ながら係わる前にいろ いろ恋について想い巡らす。
お大師さまの通られた遍路道について考えると恋が基底となる。人は恋をすると、3つのパターンで表現する。 1つ目は好きだ好きだと正面から言い寄るタイプ。2つ目は反対にばかぁあほうといじめ寄るタイプ。3つ目はそっと 見守るタイプ。恋とはあらゆる物欲や金欲とは比べ物にならないほど幸せ感をもたらしてくれる。しかし恋をしても 冷めるか普通に戻ってしまう時期が必ずおとずれる。そのときその人のタイプによってまた3つのパターンの行動となる。 1つ目は一人になり次ぎの恋を見つけるタイプ。2つ目は現状のまま平行の恋を次々見つけるタイプ。3つ目は一生に 恋は一つと決めているから死ぬまで係わるタイプ。しかしいずれの場合も人と人との恋は自分のわがまま恋を100パー セント通すことができない。相手のわがまま恋も受け入れなくてはならないからだ。だから一生わがまま独占し続け る恋完結とはならない。だが恋完結の方法があった。自分の期待しない返事の返ってくる人間を恋するのではなく、 わがままを言い続けられ、しかも黙って聞き続けてくれ、100パーセント期待した返事が返ってくる、お大師さまに 恋をするのである。お大師さまとの恋の会話は自分の脳の中で一人二役の自作自演となりまことに都合よく、いつ までも続く。この私だけのお大師さまとデートする場所が遍路道なのである。同時平行で複数にしかも男にまで恋を するお大師さまに、他のライバル遍路に嫉妬することなく許せるのは不思議だ。この不思議が悟りかも知れない。
「その人」のせりわり行は熱心に続いている。次ぎに仕事についても想い巡らす。21世紀の私は実業高校を卒業して サラリーマンコンピュータプログラマー、ブーム蔭りかけたオーディオ店、オリジナル株価分析ソフト業、そして 出前宅配兼食堂と48年生きてきた。サラリーマンの頃は世の中のいろいろなことを給料を貰って教えてもらっている という感じで働いている自覚はあまりなかった。でもこのときの出会いや思い出が新鮮で楽しくその後の人生を左右する。 オーディオ店の頃はバブルを挟んだ時期て自分なりに豪快に商売し金回りも良かったか、設備投資が例に漏れず後で 重い負担となる。単車で北海道旅行や山登りなど健全趣味堪能。ソフト屋さんの頃はソフトっていうのは発案開発製作は 大変だが出来てしまえばすごく粗利のある商売だと感じた。身体を張って働くことを忘れ始め頭で働こうという中年 思考になっていく。男盛りで一通りのおっさん趣味と飲み屋街通い明け暮れる。空けている店舗を利用して妻主導で 弁当配達業をしだして妻業母業本業と一人三役こなし睡眠時間のみで働き続ける姿に別魅力を感じる。私は遅寝遅起 きの怠けモードにすっかり浸っている。こんな中ふと四国遍路に目覚め四季通じて週末区切り打ち42日で結願し新境地 が開けるような予感を感じる。
今居るのは1200年前の荒々しい岩峰の岩屋寺行場。山全体が本尊であるのでお経を唱え続け行を終え降りてくるのを 待つ。青と黄色と橙色の帯空の黄昏時に「その人」は降りてきてどんどん自然ズームで詳細が見えてくる。「ええええ えーーーー」「めぐだぁーー」「めぐーー」と叫び駆け寄ると、めぐも「大師さまっ」と抱き付いてきた。めぐは「 寂しかった」「行かなければととにかくいろんな人に助けられて一生懸命ここまで来た」「やっぱり会えて嬉しい」 「もう離れないで」「絶対」「絶対に」とお不動さんに見られっ放しで抱きしめあった。私が「カッとなって首絞め てしもうた」「お前を殺したんだ」「足摺からここまで懺悔の日々だった」「なのにどうしてここに」「もうめぐと は永久の別れだったのにうれしいとにかくうれしい」と会話でなく両方が一方通行でそれぞれの想いを同時に話し続 ける。しばらくし落ち付いたところでめぐが「確かにあのときは苦しかった」「でも好きな人の手にかかっていると 好きな人なら命まであげると目を閉じた」「そうしたら苦しみがなくなった」「気が付けば一人で歩いていた」「行 く先々で大師さまを見掛けましたか聞いてまわった」「ここの行場で修行すれば会える気がしてやっとここまで来た」 「そうしたらお会いできました」、思いやりある女らしい言葉で、何かを悟っているかのようである。なんとも言え ない裏切りと苦労をかけてしまった。もう傍に居てくれるだけでいい。何も望まない。絶ち切り寺で蘇る「四十五番」 岩屋寺にお札を打ちつける。そして真っ暗闇の洞窟へ二人で入り私は自分の裏切り根性絶ち切り祈る「なうまくさん まんだばざらだんせんだまかろしやだそわたやうんたらたかんまん」、洞窟を出ると暗くなった外はなんと21世紀の 岩屋寺の風景だった。岩にのめり込んだ納経所はもう閉まり、寺に続く坂の参道の売店も店じまいしていた。そして なんと県道に出たバス停留所小屋に栖自住職が座り込んでいた。「おー助かった」「おいお二人さん寂しかったぞ」 「どこでなにをしておったんじゃ」「こんな時代にわしを放っておいてほんまに苦労したわ」「会えてうれしいでわ」 とめぐと私の事件のあったことなど全く知らない様子。めぐへの償いと慰労を心に留め歩き出す。古岩屋荘に着き ゆっくりと風呂に入りご馳走と再会の祝杯となる。私達のあまりの盛り上がりように他の客や支配人までも加わり 遍路談義に花咲かす。栖自住職に気を使い3部屋個室を取るが1部屋空のまま夜は更ける。明朝は抜けるような晴天だ。 ちっとも二日酔いなく快調に奇岩の道を飛ばす。トンネルを抜け久万の町を過ぎ三坂峠に出る。眼下の松山を見下ろ すレストランて昼食を食べ、めぐの好物になったコーヒーを飲みながらしばし休憩する。私「コーヒーの味ってねこ の白いフレッシュで相当変わる」「だからちょっと高価な生クリーム入りフレッシュを使う」「味慣れをふせぐため に定期的に銘柄を変える」「豆はねガテブルーブラで煎り方はね・・」「知ったかぶりやーめた」と後はほんとうに 見事な松山展望を楽しんだ。山ばかり来たのでこれから下ると平野、その先はまためぐの好きな海に出会える。 店を出て三坂峠下り道に向かっていると「お遍路さんこれ持っていきな」前の売店のおばさんが、みかんと干し柿をくれる。 どこでどう月日が経過したのだろうか、ふと晩秋の季節に気付く。雪だろうか霜だろうか山道脇が白い急な下り、 そして舗装された道に出て、ちっちゃな桜橋を渡り網目模様のある大きな石のある網掛け大師堂を過ぎ今夜の宿長珍 屋前の「四十六番」浄瑠璃寺打つ。
第14回(2002/04/06)
朝、松山の遍路道は楽しいぞと出発する。遍路道私のいつものおしゃべりが始まる。印象に残った格好いい言葉として私 の店に昼食にきた普通のおばちゃんがお茶代わりに店ビールを美味しそうに飲んでいた。「スーパーで買えば250円 で買えるのに店では500円頂戴しております」と何の技術加工も加えないのに出すだけで倍額で売れるのを申し訳な さそうに言うと、その普通おばさんは「高く飲むからおいしいんですよ」と気風がいい。デフレ時代けちけちした 風潮流行のなか実に爽やかに聞こえた。次ぎに顔見知りの土木作業員の一言「わたしの唯一の贅沢は一番風呂バスタ ブ満杯にお湯を張りサブンと入り惜しげなくお湯を溢れさすこと」と私には経験ないこと。私は自分の体重分の容積 マイナスの湯面にして入るか、溢れるときは先に身体をその溢れる湯で洗って減らす。ささやかな贅沢での幸福感を 忘れていた。そんなしっかり者の私が、某上手にお金を稼ぐハウツー本を前に買って読んでいるのを忘れ同じ本を 二度買うボケ。欲に目がくらみ見事その本に稼がれた。次ぎに同じ作家としての疑問。よく有名作家が自宅の図書館 のような蔵書のある書斎前でインタビューを受けているのを見るが、「本人はこれだけ読んで勉強している」と自慢 しているのだろうが、私から見ると盗作いや失礼引用をし重ねオリジナリティーの少ない作家だと見える。私の場合 そのお金稼ぐ実用本以外になく他作者の小説も読まない。だから白紙状態の頭で自分の表現で自分の想いや考えや 発想を言い表す。だから幼稚なスパゲッティー文章になり理解しにくいだろう。後で校正しよう。話し変わってこの お遍路結願しそれなりの悟りを開いたらラスベガスに興味を持ちたい。聞くところによると世界最高の娯楽場で世界 中からお客が集まる。そして昼夜続く馬鹿馬鹿しいほどの派手さや飽きさせない催しは究極の商売人の見本とも言わ れる。商売人の片割れとしてこの目と耳と舌他全身生で味わいたい。どうして生かと言うと、例をあげるなら阿波踊 りや鳴門の大塚国際美術館のスケールと感動はテレビでの紹介では伝わらない。特に大塚国際美術館は陶板模造品で あると噂で聞いていると偽物を高い入場料を払って見たくないと尻込みする。実際見学すると世界に誇れる徳島の財産 だと感じる。鳴門出身の大塚創業者が「採算考えると首都圏に立地するが育ててくれた徳島鳴門にお返ししたい」と の想いを知ると金持ちにもいい奴がいるなと貧乏人アレルギーも癒される。行きたいぞラスベガス。しかし私には時間 がない。平日は休めないとなると一泊四日ぐらいの強行手段で行かねばならない。ラスベガスは昼夜なしとのことだ から寝なければ実質七日分視察できる。この遍路修行で不眠不休経験しているので実行可能だ。問題は費用捻出だな。 私の遍路道おしゃべり話しにめぐは「ラスベガスこんにちは行きたい」と21世紀外国にも興味を示した。 「四十七番」「四十八番」「四十九番」「五十番」「五十一番」と打ち進んで今晩の宿は道後。1200年前以前よりの 歴史ある名湯は道後温泉本館に受け継がれている。二階霊の湯に浸かり、夏目漱石ぼっちゃんの間のある三階貸間で 窓を開けゆであがった身体を風にさらすと気持ちよい。飲食街に出て松山の味夕食をお酒お供で堪能、街を散歩し 松山風情にたっぷり浸かる。めぐが話す「男女決別って女が決めるの」「浮気していたら絶対いや」「優しすぎるの はいや」「暴力はいや」「会話がないのもいや」「旅行しないのもいや」「お金があり過ぎるのも貧乏過ぎるのもい や」。はいはいと私真剣顔で聞き流し。栖自住職「そんなにいやいやばっかりじゃ一人で居るしかないな」「わしみ たいに一人じゃと気楽じゃ」「二人仲良く寄り添っていてもいずれどちらか死んで必ず一人になる」「だから結婚願 望の強い人は一人で居たくないわけだから先に死ぬ」。めぐうなずく。私「そうそううなずいて黙って人の話しを聞 く態度が知性ある奥ゆかしい女に見えるね」「私みたいにべらべらしゃべる人間は薄っぺらい」「こんな私も風邪ひ いて声出ないときに相手の一言一言にうんうんと相づちうつと話しのよく分かる知性的な人だと言われた」「能ある 鷹は爪を隠す」「沈黙は金」「恋に上下の隔てなし恋は思案の外」このべらべらしゃべるのがいかん言うとるのに。 湯冷めしそうなので宿に返りもう一風呂温泉に浸かり寝る。うとうとしだした時携帯に情報通からメールが入り、 15キロの荷物を背負い通し打ちで出発した知人がハイピッチがたたりまめで動けなくなり16番で中断したそうだ。 車スピード社会を忘れ、はやる気持ちを押さえゆっくり一日20キロぐらいで発心道場歩くのがうまくいく秘訣だ。
第15回(2002/04/07)
翌日は松山中心部を歩いていく。松山城が美しい。私「この松山城には淡い思い出がある」「二十歳ごろ桜満開の 松山城祭りに遊びに来たときのこと」「桜の下の仮設舞台で美女数人が着物姿で踊っていた」「その中の一人を見て 動けなくなり見とれた」「大勢の観客と一緒だったので見つめ続けることができた」「私一人だったら恥ずかしくて 見つめられない」「やがて終わり舞台のそでに消えた」、そして観光が終わり徳島に帰った。しかしその一目ぼれの 美女が気になり翌日また松山城に来て捜しまわったが見つからなかった。その件以来松山は大好きな街となった。 こうやってお遍路してて出会うお遍路でも動けなくなるときがある。話しをしていてその純粋無垢な考えと言動と謙虚 さに立ち去り難くなるのである。女性だけでなく男性にもである。うまく言い表せないが人や街を好きになるときっ て一生懸命なしぐさや優しさや弱々しさの人情が伝わってきたときではないだろうか。松山市郊外に抜けるころ男二人 組みの遍路と合流した。総勢5人である。横浜から来ており標準語と阿波弁との会話が奇妙に合う。「阿波弁って横で 聞いてて温かみがあっていいですね」「本当に打ち溶け合って会話している感じ」と言うので「そうですか」「標準 語でしゃべっている人って格好いい」「その仲間に入れてもらおうと真似て標準語を使うがぼろがすぐ出る」「結局 何も言えなくなりコンプレックス感じる」、「そうですか横浜の人間にしろ東京の人間にしろ地方出身者が多いので 庶民ですよ」「首都圏に住むと東京ディズニーランドも含め遊ぶところはたくさんあるけど住人同士のつながりが 希薄で人情味がない」「田舎はいいですよ」「とくに四国は」と田舎対都会比べとなる。どこであれ環境に溶け込み 普通に住めているありがたさを感じさせないのが楽しい異郷の地の旅である。歩いててこうやって普通に歩けている ことのありがたみが分からないようなものである。めぐが「東京ディズニーランド面白そう行きたい」と言うと、 「あそこはほんと楽しいところ」「夢の国で夢をたくさん見られる」「パレードがよいプロ意識に徹している」「従 業員の交通整理姿が格好よい」「あれだけ楽しませてくれて一日5500円は安い」と田舎者も都会人も共通の東京ディ ズニーランド宣伝合戦となった。夢で人を引き付けるディスニー、信仰で人を引き付けるお四国、何度も行きたい 魅力の根源は同じかも知れない。心を充電して帰るそしてまた充電しに来るの繰り返し。「五十ニ番」「五十三番」 を打ち瀬戸内海沿岸に出る。昼食はその瀬戸内海魚介類豊富な回転すし屋で5人並んで取る。遍路姿5人組の「うまい うまい」と並んでパクパク食べる姿に店主もご機嫌でネタを厚くしどんどん回ってくる。「お客さん八十八ヶ所まわ ってんだから88皿食べたら無料にするよ」と冗談も飛ぶ。5人で88皿も無理なのに1人で88皿なんて絶対無理といいな がら88皿結願するぞとややムキになって食べるが後で料金に跳ね返ってきた。「こんな贅沢でお四国まわったらバチ あたるかも」と言うと店主「空海さんも結構贅沢してお寺をまわられた話しを聞きますよ」「証拠にお寺で太ってい るお大師さん像見掛けるでしょう」「はいこれ一割引券お接待」とどこまでも商売上手。使われることのない割引券 を手にして店を出る。瀬戸内の海岸線歩きは太平洋側とは違っている。閉ざされた海のイメージと浮かぶ島々それに 行き交う船の多さ、南の外国に続いていると感じる太平洋に比べ海の向こうはやはり日本。でも海の道を歩くのは 気持ちよい。漁村のおじさんおばさんと挨拶を交わすが、あのおじさんおばさんの先祖は怖い海賊だったかも知れな い。人のことは言えない、私の先祖もひょっとして山賊だったかも知れない。鎌大師に着き、5人大声での般若心経 に「元気がいいなう」と有名庵主出てこられた。こちらにお入りとお茶とお菓子いただき、お返しにと交互に肩もみ し、外に出て境内の掃除もした。ここまで来られた遍路道でいろいろあったと思うがこれからもいろいろある。遍路 道は人生の縮図だ。人生は路上にありを少し悟る。その先の山で伊予柑食べ放題やっていて少し昔の嫌な事を思い出 す。それは入場料千円のいちご食べ放題農園でのことだ。不心得者の客はたくさんいちごを取ってきて洗い場で洗い 一口食べて「これちょっとまずい」と全てごみ箱に捨てた。そしてまた別の場所で食べきれないほどのいちごを取っ てきて洗い今度は「これおいしい」と食べ始めた。あのたくさんの量を全部食べきれるのかなと見ていると「先の 甘いところだけ食べよう」と一個の三分の一ほどを食べては捨て次々と食べる。いくらなんでも両方の行為はマナー 違反で人格を疑った。人と人の付合いでもこのような「つまみ食い」「捨てる」マナー違反な奴は居る。商売上でも 居る。そのいちご農園に車で行く途中に爽やかな少女がいた。私が信号無視すると「まーかーはんにゃーはーらーみー たーしんごうむーしー」と注意された。さらにその少女は誤ってミミズを踏んでしまった時「なむだいしへんじょう こんごう」と手を合わせていた。修行を積めばその身勝手な性格と優しいその少女のような性格の違いを5分話せば 分かるという。残念ながら今の私は目の前で見るまで人の性格が見破れない。あさなみの民宿泊とする。キリスト 教徒の地は夜中まで強風が吹き荒れていた。昨夜のお約束で一緒になった2人は朝ばらばらに出発して行った。 私達3人は遅い出発となった。栖自住職に「こんな長期間寺を空けて心配ないですか」と尋ねると「わし一人が居ても 居なくてもどうなるものでない」「残った者がうまくやっている」「自分が居なければと思うのはどの世界でもおご りじゃ」「代わりはいくらでもいる」「だからその場所その仕事でとりあえず生かされていると考えるのが道じゃ」。 さらに私が「栖自住職は悟っているのに何故遍路する」と聞くと「悟っていると思うことが悟っていないのじゃ」と。 今治の「五十四番」「五十五番」を打ち境内で休んでいると、「無い無い誰かに盗られた」と納経所でもめている 遍路がいた。聞いていると「納経所の中に財布の入った頭陀袋を置き忘れ取りに戻ったら盗られていた」、納経所の 人「盗られたとは物騒な」「寺に来る者にそんな不心得者はいないはずじゃが」「間違いないですか」、「はい間違 いないです」と問答しているところへ他の納経者が来て「その頭陀袋かも知れないが大師堂の台に置いてあった」、 それを聞きあわてて大師堂に走って「あったあった」と喜んでいた。納経所に「すみません」「勘違いでした」「 自分の不注意で別の場所に置き忘れたのを納経所と思い込みしかも盗られたと他人を疑ってしまい申し訳ありません でした」と謝ることなく去って行った。私たち3人顔を見合わせて、私「人を見たら泥棒と思え」「人のふり見て我 がふり直せ」「人を怨むより身を怨め」、納経所の人「百日の説法屁一つ」。今治市内泊。
第16回(2002/04/08)
今日も朝から快晴だ。いつかは切り出さなくてはならない話を栖自住職とめぐにする。きっと2人も一番気にかかって いることだろう。「遍路もやまばを過ぎあと五分の一ほどの道のりを残すのみだ」「これからは選択の道になる」「 2人が21世紀に残るか1200年前に戻るか決めなければならない」「私もどちらかに決めなければならない」。 しばらく沈黙の歩きが続く。栖自住職「わしにはどちらの世界でも誰かが待っているという訳ではない」「どちらを 選んでもいずれ黄泉路へと続く」「現世でわしを少しでも必要としてくれている方に落ちつきたい」「21世紀はおと ぎの国じゃなにもかも便利で楽しい」「1200年前は不便じゃがなにもかもがゆっくりと流れている」「お前ら2人と 別れるのも辛い」「迷っているわい」ととぼとぼ歩きになる。めぐ「私は決めている」「決まっています」「当然で しょ」「ほんと21世紀は魔法の国」「21世紀の人全てが魔法使いで何でも叶えている」「刺激があって楽しくてみん なが豊かで同じ日本人とは思えない」「1200年前は私の故郷で生まれ育ったところ」「知り合いもたくさんいる」「 お金がないとなにも出来ないというようなことはない」、「でも私は決めています」。私「めぐどちらに決めている んだ」「まっいいかそれは88番で聞こう」「私も21世紀と1200年前とで綱引き状態だ」、ローマの休日という 映画で記者達が会見で王女に「訪れた国でどこの国が気に入りましたか」と尋ね王女は手引きどうり「いずれの国も それぞれ・・」と平静を装っていたが感極まり素直に「ローマです」と選んだ。本当の人と人とのふれあいがあった 地を選択したわけだ。また最近テレビ番組でニューギニアの未開の地の青年に恋をし現地に嫁ぐ日本人の若い娘を特 集していた。私の周りを見てもどうしてあのカップルが一緒に居るのか外見で理解に苦しむ例もある。だから人が 選択する場合、物質的社会環境じゃなくて人とのふれあいで決めるんじゃないかと思う。私の偏見かも知れないが。
眼下に今治の街並みとしまなみ海道が見える。あの街並みの一軒一軒にそれぞれ営みの生活があり選択があるのだろう。 これだけ離れていると想像で抽象的だが、近付いて生活圏の距離に入ると具体的に少し見えてくる。ご近所の距離に なるともっと具体的に見えてくる。家族の中に入る距離だとリアルだ。夫婦の距離になるとあうんの呼吸まで分かる。 どういうことかと言うと人は見える範囲の包容力しかないということだ。街の見える距離だとその見える街の人口分 の一の包容力しか一人に与えることはできない。生活圏の人口分の一、ご近所の人口分の一、家族の人口分の一、 夫婦だと一分の一つまり包容力全てを与えることができる。自分がどの程度の範囲の人にまで満足な包容力を与える ことができるか知る必要がある。そのために下界が見える登山修行がある。大勢の人への包容力を得ようと高いとこ ろへ登るほどパワーが入り苦しい思いをする。逆に下山しだすと少数の人への包容力でよくなりパワーもいらず楽に なっていく。普通の人で家族と友達も併せて10人ぐらいが密度の濃い包容力の限度だろう。いや1人でもてこずる 場合もある。ちなみにお大師さまは六十億人一発に面倒見える包容力があります。なにせ宇宙を語り宇宙から地球を 見てますから。「五十六番」「五十七番」「五十八番」「五十九番」打つ。雪をかぶった石鎚山系に向かって南下する。 途中スーパーマーケットに寄るとおばさんから輪袈裟の向きがおかしいと手直しされた。それを見ていた他のおばさ んが「違う違う」とまた手直し。そしたら「それやっぱりおかしいわ」と最初のおばさん。そのやり取りを見てこう だのあーだのとおばさんが寄ってくる。そして頭陀袋の位置と掛け方がおかしいとか、菅笠の向き合っているかとか、 この色のズボン合ってないとか、靴よりわらじよねとか、お杖にこんなに落書きしちゃ変よねとか、お遍路のマネキ ン状態に店内でなる。レジを終えたそのおばさん達が買ったスーパーの品物を次々とお接待してくれ、たくさんの量 に店員もビニール買い物袋をくれる。結局何も買わずに済み、3人川べりでゆっくりエネルギー補給する。栖自住職 「21世紀のお四国巡りでは食べ物に困ることはないな」「優しい人々お接待にどっぷり甘える者も出てくるだろう」 「1200年前なら決死の覚悟だから雲泥の差だ」「修行になるようなならんような」。私「安全圏の縄張りの問題だろ う」「1200年前なら安全圏は村の中だけとかだった」「21世紀になり交通も食料事情も救急体制も治安も通信手段も よくなり安全圏がぐっと広がった」。めぐ「21世紀はそのようだけど一番危険なのが人なんて聞く」「でもほんの 一部の人のことでしょうけど」。せっせと歩き続け、丹原町の旅館に着く。気が付けば今日は大晦日、もう一組の ご夫婦遍路と5人で年越しそばも入った夕食で「男は勝手ね」話題で静かに盛り上がる。どこからともなく聞こえてく る除夜の鐘を聞きながら、翌朝のおかみさんの「明けましておめでとうございます」「雑煮ができましたよ」の声に 起こされるまでぐっすり眠る。
第17回(2002/04/09)
元旦を清々しい気持ちで丹原町内を通り抜け、横峰寺に向かって序々に高度を上げていく。「以心伝心これは超能力 だ」と私が急な登りに入ったところでしゃべりだす。「ある物事を考え続ける」「そうすると時には関係者にもの言 わずとも意思通じる」「世間では一般に努力が実るということです」「ある物事を考え続けるということはお願いし 続ける場合と感謝し続ける場合がある」「親子間が以心伝心力一番強くこれを上回るものはない」「これは直接身を 分け合っているので離れていても肉体通信の波長は同じだからである」「他人とも通じることがあるのは30代(2の30 乗)も遡ると遠い親子関係になるからだ」「よく聞く人類みな兄弟とはこのことだ」。登りの苦しい息遣いしながら めぐ「じゃぁこの3人他人じゃないんだ」「今までたくさんの人ともすれ違ってきたが親族なんだ」「先ほどのお願い し続けるのと感謝し続けるのとの違いがよく分からない」。栖自住職「修行不足の者はお願いに頼り荒修行者は感謝 から物事を考えるということじゃ」。雪に包まれた「六十番」を打つ。本堂と大師堂で「お願いします」と「ありが とうございます」のどちらを唱えたかで自分の修行度が分かるよなと下りに入る。下り道で時々すれ違うお遍路との 挨拶は普段の「こんにちは南無大師遍照金剛」から「おめでとうございます」になっている。そういや先ほどの納経 所の住職も生姜湯にお酒お接待しかも「おめでとうございます」と結願寺みたいな好印象だった。正月になるという ことは去年の嫌なことは時効になるということだ。良い事を今年も積み重ねよう。また私が話し始める「21世紀には パソコンという人間の脳の何百万倍も能力のある機械がある」「計算ミスはしないし忘れることもない」「だからパ ソコンに仕事を任すようになった」「人間味はないが24時間休みなしで仕事する」「このパソコンに手足をつけロボ ット化し忘れることも覚えさせ計算ミスも起こさせる進化をさせると人間化してくる」「ロボットが進化を続けやが て自己増殖や自己修復や自己表現をできるようになると人間になる」「だから私たち人間には超優秀な機能が大昔に は備わっていたのだがそんなもの不要ということで無くなった」「ゆえに迷いを感じ答えを探ろうと修行する姿は完 成された人間の姿なんだ」。この地球も太古から超未来まで何百万回も歴史を繰り返している。今の現世が何回目か 分からないが同じ過程を繰り返していることをお大師さま以外誰も気付かない。めぐ「お大師さま何歳になられるの だろう・・」。栖自住職「時空の外に居られてお歳はとられない」。私「今謎とされている宇宙の姿や宇宙の外に何 があるかを解明したときが悟り終局となり永遠の命を得る」「歳とらなくなる」。長い下りも終わり大日如来「六十 一番」香園寺打つ。平地に戻りほっとしふらついて縁石につまずき車道にこける。幸い車は来ず大事には至らなかっ た。先ほどの下り山道でもこけたが谷に落ちず大事にならなかった。教訓として意識がはっきりしていても脳と足が 分離しているときがあるのでふらついても余裕で難を避けられるよう真ん中の王道を必ず行くようにしよう。「六十 ニ番」を打ち終え宿泊。翌朝「六十三番」「六十四番」を打ち長い伊予最後「六十五番」への道となる。国道に平行 した旧道は民家が途切れることなく続き銅山や製糸業での繁栄の街が垣間見える。また全ての道はパリに通じるでは ないが、こんぴら街道ともなっており石標はこんぴらさんへ遍路を誘う。何日か前に「お遍路どうしお大師様の奪い 合いで嫉妬することはない」「それが悟りの一歩かも知れない」ようなことを考えたが、行く道々で様々なスタイル のお遍路とお話すると「ちょっと違うんだよなぁ」と意見を異にすることがある。本来同じお大師さまを慕っている のだから同意見にならなければならないが、やはりお大師さまに目立とうとするスタイルの違いが遍路どうしの嫉妬 ということになるのだろう。私はよく優柔不断と言われこれを誉め言葉と思っていた。思慮深くじっくり考える意味 ととらえていたのだ。実はのんびり考えるどころか、事の直前まで何も考えず行動せず当日になってバタバタと慌て る。はきはきせずぐずぐずして決断がにぶい本来の意味どおりなのだ。しかーし、これで良いのである。先の事を気 にしているとその日まで毎日が重苦しい。これを忘れるのであるが、忘れようとすることがより気になる人もいるだ ろうから幸せな天然ボケである。吹雪の遍路道もいいものだと新居浜の雪景色を楽しむ。お遍路に出る季節をいつが よいか悩む人がいる。この厳しい吹雪さえ見方を変えれば絶好の季節な訳だから、思い立ったときが吉日ということ で、その時出発するのが一番よい。装備も準備万端よりそのとき思い付いた装備でよい。優柔不断の遍路道が教えて くれる。土居で泊まり、翌朝東への直線道の続きとなる。煙突立ち並ぶ製紙工業地帯を抜け登りに入る。めぐと栖自住職に煙突工場の説明をする「あらゆる紙の工場 です」「紙の使用量が文明の物差しなどと言われ発展してきて煙突もあんなに高くなりました」「現在ペーパーレス 化といって電子化されていますがやはり何の道具もなしでどこででも見える印刷物は減らないようです」「次ぎから 次ぎへと情報が使い捨てられていきます」「その情報も貴重なものからジャンクまであります」「21世紀の人間は忘 れる特技を持たないと情報に押し潰されます」。栖自住職「1200年前なら旅行く人の話しが唯一の情報とやらだった」 「捨てる情報なんてなかった」「紙なんぞ貴重で滅多に見んかった」「21世紀では便所で使っている」。めぐ「私は 決めているもーん」と明るい。「六十五番」三角寺を打ち、椿堂まで下ってきたところで88番の先にある時空のトン ネルの話をする。そのトンネルは二つ並んであり、左は1200年前行き、右は21世紀行きとなっていて戻ることは出来 ない。3人がどちらを選ぶかによって永遠の別れにもなる。その後はもう二度と1200年前と21世紀を行き来すること は出来ない。お礼詣りと残りの人生はその選択した時代でやり遂げることとなる。その決断の涅槃の道へと入って行く。
第18回(2002/04/10)
泊った椿堂では温かいもてなしを受け、住職と若奥さんの一生懸命な姿に寺繁栄が見える。歩き遍路はここを通らな いと讃岐へは行けないので伊予のお礼と感謝をしよう。山間部の通行量の多い国道を3人ゆっくりと緩やかに上って いく。私の会話の道が始まる「道行く女性に目がいってしょうがない」「特に春先とか初夏の女性は格別美しい」「 風呂上り5分とか失礼なこと言っていたが春先から初夏も加えよう」「性格を知りたいし声も聞きたいとなると声を 掛けなければならない」「しかし加齢とともに声掛けにくくなる」「それでほとんど見るだけになってしまう」「し かし見た途端立ち去り難く動けなくなってしまうときがある」「このまま立ち去っては悔いが残るし二度と会えない と思うと勇気が出る」「郵便局がこの辺にありましたよね」「ここら辺に銀行のATMありませんか」とドキドキもの である。その尋ねに対してキラキラと目を輝かせ目と目を合わせ丁寧に答えていただけると十分観察できる。だが 残念ながら95パーセント期待倒れに終わる。相手も私と95パーセントごく普通の会話で終わっておしまい。私が気に 入ったとしても相手のあること。数々の巡り会いで両方ピタッとくる確率は自分5パーセント×相手5パーセントで 1万人で25人しかいない。しかし現実には年頃になるとほとんどカップルが出来ている。どういうことなんだろう。 どちらか一方が強烈にアタックしたとしても5パーセントだから100人に5人だ。まだまだ少ない、どういうことなん だろう。何か別の引き合う力があるのだろう、その力の正体とは。「基本的に男女間は真っ白状態でカップル相手は 誰でもよい」過激だ。「動物や魚を例にすればよく分かる」「人間も動物だ」「動物は本能の生殖機能がある」「子 孫を残すための相手選びは簡単だ」「強い目立つぐらいで恋だの愛だのはない」「一夫一婦の原則もない」。 動物の仲間の人間には発達した理性がありこれが阻害するがこの機能が働きだすのは事後だ。すなわちカップルに なってから文句が始まるのである。100パーセントに近いカップルができる正体は性欲である。身体が引き合うので ある。動物と同じように男は強く女は目だつ外見で下世話だが身体と身体が求め合ってカップルとなる。カップルと なって交際が始まる同時に理想とはこうだと後講釈が始まる。理想とは経験より生まれるのだ。ごく稀に本能の性欲 の乏しい人がいて、身体では引き合わないため理性で相手を求める。見かけでも選ばない。身体で満足するという 我慢の術を知らないから経験のない理想を追い求める。だからなかなか見つからず一生費やすこともある。
お遍路中のお声掛けは実にしやすい。お接待でのお声掛けもそうであろう。おばさんやおばあさんがお声がけお接待 しているのも、若いお大師さんとの会話でほんのりしたものを感じるからでもあろう。このほんのりが若い時は恋に 変わっていったのだろうが、若い時に恥ずかしくて女から声掛けられずに今味わっているのだろう。恋の気遣いの 会話だから心地良いのは間違いなく、これが恋の病すなわちお四国病となる。私が遍路道が恋の道と解釈する所以で ある。
境目トンネルを抜け徳島県池田町に入り左手山登りとなる。めぐ「まぁずいぶん勝手な男の言い分もある けど女も経験積んで四十ぐらいになると失敗した人は慎重に」「うまくいってる人は大胆になるかも」「女も四十に なると男と同じような考えになり最後にあがき閉経していくのかなぁ」「今二十九だけど」「今は二重苦の歳かも」。 栖自住職「あはは」「めぐ大胆じゃ」「わしもその説でいくと男の変わり者ということになる」「遍路道に恋すると いうことはそうかもしれん」「同姓に声をかけるのは味方を求めているのかも」「いずれにしても敵対的でなく好意 的だからお四国にはまってしまう」。私「北海道を単車旅行したときによく似てます」「自然を観光資源と生活の糧 にしているから旅行者に優しい」「いろんなサービスが北海道の広々したあちこちの観光地道路や周辺で行われる」 「特に単車に乗った見るからによそ者に優しい」「北海道病になり何度もまわった」「今から思えば優しい人々はお 大師さまだったわけだ」「ハワイでも同様のハワイ病があった」「またディズニーでもディズニー病があった」。
「六十六番」雲辺寺打つ。私「人間に死があるように経済にも死がある」「企業の倒産とか破産だ」毎月末とか10日 とかに支払日や決済日がくるが支払い資金がなくなりショートすれば死となる。この死となる前に経営者が家族や親 戚を巻き込んでじたばたする。最後まで生への望みを捨てない試みだが周りの者も生死をさまよっているなら助けよ うと資金という薬を応援する。しかし手に負えない薬量と知り応援の限界で疲労する。結局死に至り焦げ付いた資金 は返らなくなり生活設計が狂う。めぐ「21世紀はなにもかも規模が大きくなりすぎているわね」。私「基本的に不可 欠な企業活動に派生した寄生企業活動が多い」「あれば便利ということを商売にした企業だ」「21世紀の人間は便利 慣れしているからこれらを利用する」「しかし不景気になると一番にカットされ窮地になる」。栖自住職「税金はど うなんだ」「1200年前は取れ高の半分税金だ」「一揆も起こるぐらい高い」。私「21世紀では民間商品がデフレで 安くなっても税金は上がり続けます」「税金は独占商品で競争相手がいないので上がり続けます」「所得税に始まり 固定資産税贈与税住民税消費税」「税と名を付け次々と独占新商品を発売してきます」「経済原理を働かせませんか ら上がる一方です」「払えないと差し押さえという強制取り立てします」「道路や庁舎や需要のない施設などが必要 以上に綺麗になります」「税金の半分は役人の給与となります」「役人さんにお金を上納しているのが税金です」 「累計するとやはり収入の半分は税金として払っています」「21世紀の一揆が起きないのが不思議です」。 めぐ「お金に目の色変えて暮らしにくそう」。私「一揆が起きないということは民主主義の欠点かも知れない」「民 主主義で決まったんだから文句言うなっていう真綿絞めです」「議会は民主主義かも知れないが行政は独裁だ」「役 人が一生安楽に仕事が保証されているということがその働く場を確保する組織増殖のため安易な税金上げになる」 「役人組織が肥大しているならジャンク法律廃止しスリム化するか肥大究極の国民全員を公務員にする」「民主主義 をやめ革命独裁の国とする」「無理ならこのまま国民を食い潰して国を滅ぼし一から出発する経済破壊による再生」 「天変地異戦争の物理的破壊による再生」。栖自住職「いずれどれかの形で一揆は起こるな」。めぐ「21世紀怖い」 「公に奉仕する人は仏さまの心をもって一番大切なものを差し出す気構えで自己中心的自己防衛的自己保身的考えを 捨てていただきたい」「それが見えれば民も我慢ができる」「でも便利か我慢か難しい矛盾よね」「今日は身体も頭 も疲れました」。長い下りを終え「六十七番」打ち終え泊。
第19回(2002/04/11)
昨夜の食事時に栖自住職とめぐが「21世紀をもっとよく知るために88番までこのまま21世紀の遍路道を歩きたいね」 と言っていたので、私「勝手知ったる21世紀だからこのまま行けるならまかしときな」とリーダシップとることにし た。早速観光案内「ここらへんの観音寺市付近はね全国でも有数の婚礼の派手な土地柄なんだ」「娘三人嫁にやると 家が潰れるというぐらい世間体を気にして蓄えた大金をはたくのだ」「婚礼家具は高いのから買う」「もっと高くて 良い品はないかと求める」「披露宴も盛大にやる」「新婚旅行もリッチに外国は当たり前」「車も新居も」。それが 当たり前と生まれ育てば「そのとき」のために貯蓄する。そして惜しげもなく出す。それが代々受け継がれる。 この気質を私は好きだ。だって何かの目的のために働き貯蓄するのだから。一方徳島県民は貯蓄額は全国3位、なんで も後ろから数えたほうが早いのに少ない所得からせっせと貯蓄する。観音寺市民のようにぱっと目的散財すること なくとにかく貯める。人を頼らない独立心が強いのか、老後に不安を抱く土壌があるのかも知れない。 話しを観音寺に戻して、だからあっさりと婚礼を済ます都会の人との縁には条件が合わず破談もあるらしい。最近は だいぶ変わってきてやや地味になったとも言われるが娘を思いやる親の気持ちは日本一かも知れない。 めぐ「ところで大師さんの結婚したときはどうだった」。私「ドキッそうだ私には妻がいたのだ」「いやー普通です よ」と刺激しない。めぐ「普通ってどんなんだろうな」「気になるな」「この遍路旅が終わっても帰れるところがあ る」「だから大師さまは間違いなく21世紀のトンネルをくぐる」「大師さまに付いていっても日陰の身で辛い思いのみ」。 私「・・・」「1200年前もなかなかいいよな」「21世紀の知識で人々をたくさん助けたい」「だからトンネルは分か らない」。めぐ「子供も3人可愛いよね」「捨てられないよね」「でも子供が独立すれば夫婦2人になる」「だから結 局問題は奥様ねぇ」。私「・・・」。栖自就職「これこれめぐ」「日常を離れて遍路しとるんじゃ」「遍路はみな独 身じゃ」「非日常の世界に日常を持ち込んじゃいかん」。めぐ「じぁーずっとこのまま3人でお遍路続けましょうよ」 「苦しい修行のときもあるけど楽しいもの」。栖自住職「日常と非日常」「現実と非現実」「接点として1番と88番 がある」「特に88番結願所は卒業関門じゃ」「故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃」。私「好きだみんな好きだ」。 めぐ「はっきりしないのね男って」「88番ではきちんとするんでしょ」「じゃここらへんでこらえとく」表面あっさり。 「六十八番」「六十九番」打つ。めぐは銭形お守りを買い代金は私が出したのでご利益は半分ずつに不満顔だ。裏の 砂浜の銭形を見る。めぐ「近くで居ると分からず遠く離れるから形が分かる」「身近にいる人のありがたみと同じ」。 彼方の五重の塔目指して堤防上を行く。めぐ「うお大師さま」※うおとは私の遍路名「今まで何人の女性をご存知に なりましたか」「その行動力そのまめさその優しさですから」。私「それは言えん」「いやそんなことはない」と言 いつつ自慢しようかと思ったが「いやーこの風体ですから駄目ですよ」「それにあんまり金ないし」。めぐ「えっそ うなの」「女ってね持ててる男がいいのよ」「だって持ててない男と一緒に居るところ見られたら格好悪いでしょ」 「そりゃ綺麗な男がいいわよ」。私「意外な言葉」「そんな見かたするの」「めぐは外見にとらわれないと尊敬して いたんだけどな」。めぐ「うーそよ」「ちょっと多そうだから嫉妬したのよ」「だって奥様がいて私でしょ」。私「 しいっー声大きい」なぜかだんだんせまるのを感じる。栖自住職に「ここらへんは気持ちいい歩きですね」「あのず っと向こうの阿讃山脈の反対側が切幡ですね」と話しを振る。栖自住職「そうだな一周してきたんだなぁ」「21世紀 の切幡ってどんなんだい」。私「大きな寺ですよ」「このあいだ大塔も綺麗に修復されました」「本堂奥の美女観音 も333段石段も有名です」。栖自住職「そうか・・」「私の入る余地はなさそうじゃのう」と暗くなる。21世紀と1200 年前との選択の道幅が狭まってきているようだ。こりゃいかんとめぐに話しを振り返す「ところで29になるめぐのご 存知の男性は何人」「ん」。めぐ「失礼ね私の父は厳しかったの」「そんなのございません」。私「厳しいと反動あ るよねぇ」。めぐ「・・確かに」「反発しっぱなしのときありました」「今から思えばふらっと動物を哀願するよう な恋もございました」「衝動的な求めに愛されていると勘違いしているときもありました」「今も難しいことを・・」。 私「さぁて大をもよおしてきましたぞ」と暗いムードとロマンチックなムードを打ち消して足早になる。「もうあん なんだから」「中途半端ね」「待ってよ」の声を後ろに聞きながら国宝「七十番」を打つ。国道に出てから話しは 騒音にかき消され途切れがちになるし細かくならない。めぐ「この多くの行き交う車はそれぞれにご用があるのです ね」「なんのご用があるのでしょう」「それに何人も乗れる車に一人が多い」「ご一緒にご用を済まされればよいの に」「これが経済活動というものなのですね」「個人主義なのですね」。私「そう個人主義はわがまま」「急がば回 れ思い立ったが吉日」などどちらへでも解釈し我が道を行く。栖自住職「1200年の昔は我がままを言うことのコトが なかった」「衣食住の生活が全てでそれも簡単だった」「それ以外はなかった」「だからみんなが理解できることば かりで新しいものなど悩ますものはなかった」「みんな仲良く一日の距離の範囲ぐらいで外の世界を知らずに一生を 終えた」「それが全くの普通だった」「この21世紀はおとぎの夢の国だがどうも落ちつかない」「めぐそうだろう」。 めぐ「はいそうですが私若いからかしら順応してきたようです」「大師さま私も道行く21世紀の女性みたいに髪を 金髪に染めたい」。私「黒髪のままがよいと思うがあそこに美容院があるのでやってみるか」。金髪のメッシュを入 れためぐはご機嫌だ。「金塗りの仏像さまみたいになったでしょう」「仏さまみたいにちょっとウェーブとやらもか けてもらったの」。栖自住職「なるほど金色はまばゆい」「めぐに後光がさして見える」。私「なかなかいける」。 やがてきつい階段の登りが続き息を切らし「七十一番」打つ。俳句茶屋に「遍路道夕焼け空を雲包む」二重投稿し下る。 今日の泊りは下ったところの初体験のモーテル街。色気なしということで一人追加分を払い三人雑魚寝に決める。 派手な照明にガラス細工の豪華な風呂、ふわふわの回るベッドに2人は妙に感激している。一人ずつそのガラス風呂 を堪能し、出前の食事とビールで腹を満たし、めぐはベットで私ら男はソファーと別に用意してもらったマットレス 上で本来の楽しみなしで眠りについた。翌朝は回りながら寝ためぐの回転ベットのモーター音で目覚めた。
第20回(2002/04/12)
歩き始めて久しぶりに足の裏の違和感が気になる。発心の道場の頃はまめも出来かけ関節も痛くなり歩き方が変なの かなぁといろいろ変えてみた。軍隊行進のように、ときにはモデル歩き、そしてモンローウォーク。結局自然に一番 無駄のない歩き方になっていた。名付けて遍照ウォーク。ここまで来るとずいぶん足も強くなり、まめだ関節痛だと 全く気にしていなかった。ひょっとしてこの痛みは使い過ぎによる疲労骨折みたいなものかも知れない。幸い今日は 札所が小刻みにあるのでゆっくり休憩しながら行こう。めぐ「大師さんの奥さんは幸せなんかなぁ」朝っぱらから濃 い話しで始まった。私「さぁ本人に聞いてみないと」。めぐ「こんな勝手なことばかりして家庭をかえりみないので しょ」「あきらめているのかなぁ」「だまされて3人子供作り子育て苦労して終わりという感じがする」「かわいそう 」。私「おいおい」。栖自住職「女が子供を産むということは子供の数だけ愛されていると納得しているこっちゃ」 「それに子育てを苦労と思う母親はおらんだろう」「また勝手な男というのは我慢できるものじゃ」「我慢できんの は他の女に気持ちを取られることじゃ」「金も取られたら最悪じゃ」。私「栖自住職どの生々しい」「もうちょっと 夢を」。めぐ「じゃぁほしいと思っても奥様がいる男は駄目なのね」「たまたま好きになった男に奥様がいたなんて いうのはしょうがないことじゃないの」「なんでも手に入るまではむしょうにほしくなりますわよね」。栖自住職「 手に入ったあとが怖そうじゃな」「手に入れるために一生懸命になる」「手放さないために一生懸命になる」「こり ゃ男は動けんわ」「それぞれ前に言われた3つの表現で攻守するんじゃろう」。めぐ「女はそん」「そんよねぇ」「 男の家庭まで心配するなんて」「男はいっぱいいまーす他の男さがそーうと」。栖自住職「お寺ですよ俗世間を離れ てください」。お参りと休憩で落ち付きのどかな大師の故郷一本道を「七十ニ番」「七十三番」「七十四番」と打ち 善通寺市内へと入る。写真屋と貸衣装が一緒になった店のショーウインドーのモデル写真を見てめぐが「大師さんこ のように一緒に撮りましょう」「21世紀の記念に撮りたい」と動かなくなった。私は婚礼写真だぞどうすると思った がめぐり合わせだしかたないと店に入る。店の人は愛想のよい人で「すぐお撮りすること出来ます」「プリントもす ぐできます」「さぁどうぞ衣装を選んでください」と奥の和洋装展示部屋に通された。数多くのマネキンが艶やかに 着飾っていた。入りきらない和装打ち掛けは数多くの引き出しにしまわれていた。めぐは「ああこれ綺麗」「これ着 たい」「あれもこれも」と結局、和装3着洋装5着選び、写真撮りにこの日は暮れた。私は和装1着洋装1着、栖自住職 も記念にと2人に分け入り派手な洋装2着着た。いろんな背景の前で立つ2人、いや時には3人。めぐ1人での暖炉前、 ステンドグラス前、バルコニー前、庭園前、お城前といろんな背景バリエーション。出来あがった写真は見事である。 3人特にめぐ「すっごく気に入った」「綺麗綺麗」を連発。ほんとうによい21世紀の記念になる。元気の源になる。 善通寺泊。翌日賑わうお大師さん生誕地の大きな寺「七十五番」善通寺を打ち、金比羅さんと満濃池に向かう。 坂のお土産物街で赤いまる金のうちわを買い「長い石段だなぁ」と栖自住職。 歩いてきた讃岐平野を一望できる本堂で大きく拍手打ち旅の安全を願う。満濃池に向かう途中の小縣屋の大根おろし と生姜とねぎと醤油をうどんにかき混ぜて食べる醤油うどんを食べ、斜め前の長田うどんで素うどんをはしご、もう 1軒と3軒有名店が連なる。満腹状態で満濃池に着く。私「ここがお大師さまが作られたかんがい用の池だ」。めぐ 「大きいすごく大きい海みたい」と見とれ休憩所にしばらく寝そべる。松尾寺、神野寺打つ。めぐ「讃岐のうどんは 美味しいね」「どこのお店も溢れんばかりのお客さん」「21世紀でいろんな食べ物いただいたけどみんな美味しい」 「焼肉寿司中華オムライスカレーお好み焼きラーメンうどん」「続けて言うと光明真言でなくて食欲真言みたい」「 ごめんなさい」「明日は丸亀で骨付き鳥が食せるのねうれしいわ」。その「一鶴」というブランド名を確立するまでが 大変な商売人の修行。同じ味をした他店に客は行かない。やはり一番に有名にしたという成果が認められる。うどん でもなんでもそうである。お大師さまもだし、お遍路で有名な人も何かを一番にしている。真似は誰にでもできるが 一番最初にというのは誰にでもできない。その一番最初のものにひかれるのは素人人間共通のある意味での信仰だ。 二番目以降でも、よりすごい店や人はいるが一番という触れこみの口コミには何も知らない素人人間には選択の余地 なく到底かなわない。またここでめぐ「ということはほんとうは二番目以降によい男がいるということですね」。 私「一番で決められないとなると二番目以降は無限大まであるぞ」「比べて比べてしていたら寿命が尽きるぞ」「死 ぬまで独身通すのか」。栖自住職「どうもあー言えばこー言う会話に聞こえてならん」「21世紀の政治家が得意とし ているとか聞いたが」。私「やられたかな」政治家が口にする改革も「こんな厳しい時期にやることはない」厳しい 時期でなくなると「何の問題もないときにやる必要ない」と結局やらないお調子者。「そうですね詐欺師と紙一重かも 知れない」明日の昼ごはん講釈して、来た道を戻り再び善通寺泊。
第21回(2002/04/13)
翌朝、善通寺市の直線桝目状の道を抜けて行く。このお遍路も終盤で間もなく終わると思うと複雑な気持ちだ。 栖自住職とめぐの人柄も分かったし私のも分かってもらえたはずだ。この数ヶ月一緒に居るともう一緒にいるのが 当たり前で居ないということは前提にない。しかし88番では選択しなければならない。妻子と21世紀知人を捨て1200 年前に行くか残るかを。めぐは決めていると言うが、栖自住職とも同様だろう。私の妻は色白で顔小さく髪は天然ブ ロンドで脚は真っ直ぐ長く歯並びよく白くて丈夫。性格は大人しく初々しく爛漫で派手好みでなく尽すタイプで料理 上手な働き者。私は何の不満もないが何の不満もない不満があると言えば男のさがだろうか。不満と言えばアメリカ では「真面目すぎる」「普通すぎる」「退屈させる」「優しすぎる」という理由で離婚が許されるらしいが日本では 許されない。アメリカでは一緒に居たくなくなれば理由は何でもよく、別れて二度とない一生を悔いないようにとの ことだろう。欧米化している日本でも心の中の気持ちは一緒かも知れないが保守的に現状維持の我慢が入る。極端な 暴力とか全くの性格不一致の場合は別だが、経済的苦難があったとしても普通に長年連れ添ってきたり知り合ってき た人を他の人には渡したくない気持ちは捨てられない。よく男性が女性化し女性が男性化していると聞く。例えるな ら「男は同時に複数恋せるが女はきちんと終わらせて次ぎの恋に行く」だったのがその中間の「男も女も立場を踏ま えて適当に」となりつつあるということかも知れない。男の中の男や女の中の女から見れば許せ得ないことであるが 現実周りにこのような例見る。一夫一婦は理想で、生涯ただ一人と一夫一婦は究極の恋であり、前に述べた1万人で 25人がそれかも知れない。恋して熱くなっている時もよいが、そう長く続くものでもなく、冷めて普通になった時に も時折熱くなれる気楽なうまのあった仲がよい。やすらぎの中にメリハリということだろう。男女の仲を語れば本一 冊すぐできるというほどだから人の数だけ恋の環境があり、これまた難しい悟りの世界かも知れない。もし、 そのままの気持ちで生まれ変わり人生二度あれば二度と失敗はしないとよく聞くが、やはり失敗するだろう。なぜな ら人間の身体は何代にもわたりその世代世代の気持ち経験がそのまま遺伝伝承され、生まれ変わったのごとく完成さ れつつあるのに恋には遺伝子がないからだ。恋は自分自身で産み育て完結する。私の今までの言及に矛盾あらばまさ に正解である。「七十六番」「七十七番」を打ち例の昼食へと足運ぶ。めぐ「丸亀名物鳥の足美味しい」。栖自住職 「辛いが美味しい」「そのビールとやらに実に合う」。納得満腹少々酔っ払って遍路道に戻る。栖自住職は酔いも手 伝って「少々道に迷っておりまする」「遍路道は一本のはずが何本も見えておりまする」「1200年前も21世紀もよい でござる」「能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多」「この文明に恋するとは何たる不覚」「修行が全然足らん」。 私「そんなもんと違いますか」「21世紀徳島の夜繁華街秋田町でも14番19番23番副住職迷われているのをよく見掛け ます」。めぐ「ひょっとして私ビール好きかも知れない」「もっと強烈なお酒とか洋酒に恋してしまうかも知れない」 「人に恋するよりずーっと私の気持ちを分かってくれ気持ちよくしてくれるお酒に恋したい」「でも酔いが覚めるの がイヤ」「お四国まわり続けるようにお酒飲み続けたい」。私「そうか世の酒好きの人は頭の中でお四国巡っている のか」「うさばらしで酒飲んでいても修行しているということか」「んアルコール好きの私の勝手解釈かぁ」。 曲がり角の餅屋で美味そうな赤飯のおむすびを買い「鳥のえさになれ」と同じ胃に同居させ、「七十八番」打ち高層 建築や瀬戸大橋を高台より見渡す。めぐ「あと十のお寺残すだけね」「最初は楽しく終わった寺の数を数えていたが 残りを数え出すと気持ち入り乱れて複雑」「でもやっと終われるきちっと出きると思う反面どうしてお大師さまは888 番までお造りにならなかったのと物足りなさ感じる」。私「888番まで造られてもやがて終わりは来る」「足りない人は 輪にしてエンドレスでまわれということです」。神社と同居の「七十九番」打つ。めぐ「わぁーい神社もお参りしよ う」「ぱちぱちと手をたたいて拝むのね」「お寺のほうはたたいちゃいけないのね」「そのかわり本堂に吊るされた 小さい鐘を紐振ってたたくのね」「托鉢している人がいる」「お金を前の茶碗に入れてくる」と私の財布より100 円ポンと入れ立ち去る。私「駄目」「そんな差し上げ方失礼」「物貰いの人ではないのだから正面に立ち合掌して頭 を垂れて丁寧に入れそしてまた合掌して立ち去る」「本堂や大師堂のお参りと同じ様にやる」「お経を唱えてもお願 いを言ってもお礼を言ってもよい」「托鉢する人はお大師さまなんだから」「でもお大師さまに見えないときはしな くていいんだよ」。ゆっくりまわっているんだかどうだか椿と梅と桜が咲き乱れ季節は早い春を迎えている。 角のシンプルなうどん屋に寄りかけうどんを食べるがこれがまたうまい。「うまいおばちゃんうまい」とめぐはすっ かり食べ物巡礼にはまっているかのようだ。歩いて遍路するということはいくら食べても太らない。だから好きなも のを思いっきり食べたいが太りたくない人にも歩きお遍路はお勧めだ。痩せたい人は痩せたいだけの重さのリュック を背負えばよい。例えば10キロのリュックを背負って88ヶ所歩くと身体はリュックの重さも含めて自分の体重と認識 し重い分を消化燃焼さす。その結果リュックを外せば10キロ減っていることになる。歩き通すということは食欲以上 のエネルギーを使うのだ。また終わればリュックを降ろした体重に合わすかのようにあれほどあった食欲も減少する。 そのような目的の食べ物巡礼でもお大師さまに少しでも触れられれば不謹慎なことはない。巡拝用品百貨店「八十番」 国分寺で今日は打ち止め泊とする。
第22回(2002/04/14)
翌日、五色台の遍路ころがしを登って行く。途中の墓地の中を通ったときめぐが「死んでしまえば何も残らない」「 もう永遠に二度とこの世には戻ってこれない」「夜寝ててもいつか死ぬんだ」「そうしたら永遠に素晴らしいこの世 の中を見られない」「いや死んだことさえも分からない」「そう思うと寝られない」「誰かにつかまりたい」「人が たくさんいる賑やかなところへ行きたい」「波乱万丈に生きていろ