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■結願■そしてその後
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2004/08/04(水)晴れ
10番切幡寺から仕事時間割いての伴巡礼が終わって心にぽっかり穴が空いてます。きっと彼も同お四国病にかかっているでしょう^^。
先日紹介しました「幸せの砂浜道」の写真も撮ってきました。
2004/07/11(日)晴れ
所用で東洋町まで国道55号線を車で走ってきました。
鉦打からの往復で頑張る歩きのお遍路さんは5組でした。
薬王寺前の橋本食堂さん善根宿の横で道の駅工事が始まってました。
日和佐トンネルは車道幅を変更して分離柵付きの歩道が整備され安全になっていました。
海南町のへんろ小屋はお休みのようでした。お隣りの弁当屋さんは娘さん経営だそうです。
ホテルリビエラ前の国道をまっすぐ行き橋を渡ったすぐにあるひこうせんスパゲチはボリュームたっぷりでうまい。お遍路さん大好きのママだ。
ひこうせん先の県境トンネルを抜けると、設備も整った遠浅の東洋町白浜海岸があります。
干潮のときにだけ、赤葉島へと続く「幸せの砂浜道」(私が名付けた)が現れます。ラッキーなお遍路さん歩いてみてね^^。
2004/06/07(月)雨
大阪発高知行き便(徳島上空2004/05/14,14:53頃)
バイソンさん提供(勝ぼうず編集)
1.自宅
2.小松海水浴場(綺麗)
3.眉山(276m)
4.18番恩山寺
5.19番立江寺
6.JR徳島駅
7.吉野川
8.徳島空港
9.国道11号線交差高速徳島道入り口
10.高速徳島道始終点(高知松山方面へ)
11.南海フェリー(和歌山へ)
12.大塚製薬
13.ジャストシステム
※ちょうど1番霊山寺あたり上空からの写真で、スカッと気持ちいい見晴らしですね。(画像クリックで拡大画像になります)
うま〜い魚野菜、綺麗な海、お接待人情、の〜んびり田舎暮らし。
好きになってもらった四国徳島に、「都会の疲れた人々よ遍路に来ませんか」と誘うより「移住して来ませんか」とトーンあげました。
2004/06/02(水)はれ
一番霊山寺から十番切幡寺への山々を焦がす、心洗われる数分間だ。
中央の山が一番霊山寺裏の大麻山538m。
(四国三郎橋北詰めより19時10分)
2004/04/18(日)ぱれ
(画像掲示板より)
東京(静岡?)Sさん26才 名前: 勝ぼうず [2004/03/09,12:40:15] No.93 返信
配達途中に上鮎喰橋たもとわき道を歩いている姿を見つけ、車を停め200円お接待。
通し打ちとのこと。左折しこの山沿いを行くと恩山寺に行けると教えて
、写真了承もらい撮影後、突然大粒の涙ぼろぼろと泣き出しちゃいました。
こんなときおじさんとしてはどうしていいか分からない。
「88番まで行く遍路道で悟れますよ」「ガンバレッ」と言うと更に大泣き、とても印象に残りました。
無事結願を祈ります。
画像タイトル:上鮎喰橋たもと11時44分 -(8 KB)
>> 足が痛かっただけ 名前: 勝ぼうず [2004/03/10,07:43:17] No.94
泣いた理由がとても気になったため、予想で早朝に恩山寺ふもと民宿ちばを訪ねると朝食中であった。
おぉラッキーで縁ありと思いながら話を聞いた。
雪の焼山越えほか歩いてきて足がとても痛く辛かったところに、お接待で思わず
涙が出たとのこと。
一転今日は初夏並みの陽気になりそうなので楽しい歩きになるだろう。
通し打ちの状況報告をお願いしてきましたので、入手できれば報告します。
>> 1回目ハガキ来ました 名前: 勝ぼうず [2004/03/13,17:12:27] No.97
3/10金子や、3/11平等寺、3/12薬王寺と打ち進んでいます。
治らない足のマメに相当悩まされているようですが、治ってくるにつれスピードアップするでしょう。
予想では3/13は鯖瀬付近かと思われます。
美人で可愛いく礼儀正しいお遍路さんなので、見かけられた方は応援してあげてください^^。
>> 2回目ハガキ来ました^^ 名前: 勝ぼうず [2004/03/18,16:24:38] No.99
3/16室戸岬24番最御崎寺を打つ。
もっと進めたのだが、室戸は以前に来て好きな場所だったので長居したとのこと。
足も治り慣れて、今までの20〜25KM/日から30KM/日を目安にできるとのこと。(よかった)
牟岐署前の接待所で写真を撮ってくれ、掲載されるとのこと↓。(お疲れの顔)
http://www.tk2.nmt.ne.jp/~memetan/syasin.htm
今日あたりは、27神峰寺近辺かな。よい遍路を続けているようです。(ガンバレッ)
>> 3通目ハガキ来ました 名前: 勝ぼうず [2004/03/30,13:51:22] No.105
だいぶ暖かくなって順調のようです。
3/28に愛媛入りしましたようです。
足摺から晴天続きで海がとても綺麗かったとのこと。
3/29は宇和島を通って41番龍光寺近くまで進む予定とのこと。
あんなに阿波で泣いていた足ですが、ここんとこ一日に30〜40KM歩いているとのこと。
(南宇和郡内海村、旭屋旅館にて)
今日30日は大洲十夜ヶ橋のお大師さんに会っているかな。
通し道程の半分は過ぎた。修行悟りを積み重ね素敵な女性になってください。
ガンバレ〜。私の方が歩いている気分にさせられ、結願が待ち遠しい。
>> (new) 4通目ハガキ来ました^^ 名前: 勝ぼうず [2004/04/08,21:24:20] No.109
通し打ちだと打ち始めからの季節変化を身を持って感じるのでしょう。
「満開の桜が美しい時期になりましたね」文面で始まっています。
4/5は、学生時代の友人とこに寄り道しているそうです。
4/6は52番から再開。「なんとなくゴールに近付いた気がする」そうです。
4/8今日は横峰寺近辺まで行っているかな。
このペースだと結願は17日前後だろう。まだ予測は早いが待ち遠しい。
>> (new) 本日結願(会ってきました) 名前: 勝ぼうず [2004/04/18,21:34:28] No.110
とても暖かく天気のよい今日ぐらいに結願ではと思い14時からの昼休みに大窪寺に出向いた。
その後ハガキなかったのだが縁あれば会えるだろうと、8番熊谷寺あたりより遍路道を車で逆打ち走行し、
出会うお遍路さんを見落とさないように脇見運転を繰り返した。
結局大窪寺まで出会えず、もう一番まで戻ったかな、それともまだ長尾寺あたり
だろうかと会えぬ不安のまま境内に入ると、それはまるで示し合わせたかのようにバッタリ会えた。
私の驚きと同じようにSさんも大変驚かれた。積もる話もいろいろあったが感激で全て言い忘れた。
納経後、門前八十八庵のもう顔見知りの昔娘さんたちと待ち祝った。
今日の暑さと女体山越えの渇きなのか彼女は美味しそうにビールを一気に飲んだ^^。
頑張ってよかったね、少し痩せたネ、おめでとう。南無大師遍照金剛。
(2004/04/18,14:36結願風景)↓
2004/02/17(火)曇り
「世界遺産前の遍路道を自由に歩く」と題して気まま気分ページに変えました。
そうだなぁ、歩いていて見知らぬ人から優しい言葉をかけられたり、拝まれたり、凄いことやっているななどと言われると、
にわかに覚えた般若心経や真言などを神秘的にとらえ念力のごとく唱え超能力を持つ優越的人間になった錯覚に陥り成り上がってしまうな。
ふだんからプライド高く、同じようなことやっている同世代人間をライバル視したりする人はなおさらだなぁ。
一般社会で、ちやほやされたらごう慢になるようなもんだ。お四国病とは、そのように四国で注目の主役になりたい病である。
純粋に祈りながら行く末を探している人は一回結願で二度と四国の地は踏まない(観光遍路としては別)。初めてが全てである。・・と思う。
そして得られた功徳や悟りを心の内にしまい世間に公表しない。よって私達観光遍路の目に止まることもない。
インターネット上に集う私などは間違いなく観光遍路ですから、決意表明、経過表明、結果表明と賑やかに悟りらしきものを誇張する。
そうしないと熱が入りにくいからであるが、四国観光宣伝にも役だっているはずだ。それらで生活する者もでてくる。でもそれでいい。
登山やディズニーランドやハワイに行っても、触れ合いや新しい発見や生きる活力が出てくるなど、同じように登山病やディズニー病やハワイ病になる。
観光遍路は事前にきっちり情報を集め、予定通り期待通りになるよう無駄なく見落としなく行脚する。やっぱりそれでいい。
1200キロの区切り打ちを一年かけて行うと一日あたり3.3キロだ。歩くことにこだわるなら四国の地まで自宅からも区切りで歩こう。
遍路道を運動場にして歩くことは心身にとてもよく、疲労は満足感と達成感を与えてくれ、疲労回復したあとのやる気は倍増する。これが徒歩四国の力だろう。
観光遍路に、お接待は心地がいいから回数廻るのに意義は大いにある。宿や大師が立ち寄ったお寺は有償の糧が代々得られるようになったがそれでいい。
「回数廻ったぞ」==「やる気だけの金持だぞ誇示」というのは言いすぎかな。観光遍路が多いほど世の中幸せということだろう。
1200キロ大回りしたけど、ほらほんとうのお大師様はそばにいるよ。
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2003/09/28(日)晴れ
ブームのさぬきうどんホームページを多数見て、その中から徳島県貞光町から北へ県境の阿讃山脈を越えて
しばらく行ったところにある香川県琴南町の谷川米穀店まで16キロのコースを歩きで行きたいと思い立った。
歩きうどん麺路(遍路)である。朝06:10徳島市の自宅を車で出発し国道192号に出て一路西へ。
07:10JR貞光駅や貞光警察署の近所の道の駅貞光ゆうゆう館に車を駐車しトイレ休憩と一息入れて
07:30出発。前の国道192号を左(西)に進み、07:40右折し赤い美馬橋を通り吉野川を渡る。
07:50駐在所のある交差点を右折し、07:55ローソンのある交差点を左折し国道438号に入る。
08:10高速徳島道高架をくぐり登りになり汗が噴出し少々苦しくなるが通ってきた吉野川と街並み
が見渡せ景色は抜群だ。08:25ショートカットの細い道が上の国道につながっているのが見えたので
急坂だが通る。500メートルぐらいは短縮できたようだ。
ずっと登り坂が続き下半身が刺激されるので後に続く人のために(歩く人いるんかいな^^)トイレ情報
収集する。08:35旧猿坂橋と並んであるいでだに橋を通過。08:45売店あり、ここに2つある簡易トイレには
ご自由にお使いくださいとやさしい張り紙がしてある(利用の際は何か買ってあげてね)。
09:25野田ノ井バス停(バス利用最寄り)、貞光行きは7:43 13:11 16:29の一日三便である。
09:30野田ノ井トンネル入り口、ここには立派な公衆トイレと売店がある。またトンネルが出来る前の
旧国道との分岐点でもあり、旧道には絶景といろんな楽しみが(何?)あると聞いたことがあるが徒歩2時間
以上余分にかかる。09:40三頭山トンネル入り口、巾50センチ高さ20センチほどの歩道あり。
いよいよ長くて(全長2648メートル)うるさい自動車騒音の世界に入って行く。10:00中間点←1325 1325→の
電光表示あり、天気が良い秋の休日のためか多数のツーリンググループの単車が爆音を残しゴムバンドに
引っ張られるかのような加速で徒歩を気持ち良さそうに追い越して行く。10:15トンネル出る(ほっ)、
後半は下りになったようでピッチ上がる。10:25道の駅ことなみ(道の駅とかコンビニには当然トイレありますね)
11:15谷川米穀店着(23000歩)、ここまで相当標高のある山道でしたが結構エスケープポイントはありましたので
女性の一人歩きでも問題ないでしょう。さて谷川米穀店、ここは製麺所を併設した食堂で「ぬくいの」
「つめたいの」「大」200円「小」100円のしょうゆうどんが打ちたてゆであげ状態で即食べられるの
です。県外車を含め路上駐車の向こうに100人(数えました)並んでました。12:15一時間並んで三分の
病院診療並み「ぬくいの大」食事でした。歩きの空きっ腹もあって、こしがあって確かにうまかったです。
このあと比較的近所の三島製麺所で(看板なく一度通りすぎてしまった)つめたいの大と土産用生麺5玉(計450円)。
またまた比較的近所の花畑うどんで小(150円)と立て続けに食べると、おつゆのあるうどんが恋しくなった。
しかも3軒目ともなると、あれほど気にしていなかった店の雰囲気とか外観、机椅子コップの汚れなどが
気になりだした。満腹になると欲が出てきてしまうようである。次は雰囲気小奇麗店巡りの順番としようなどと
考えてしまったが、明日になって空きっ腹になっていると元どおりかも。


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2003/03/06(木)小雨
「般若心経という生き方」松原泰道
私のうまく表現できなかった人生経験がまとめて書き表されていると読後に感じた2003/02/22-23(日)。
30
生老病死(しょうろうびょうし)、怨憎会苦(おんぞうえく)、愛別離苦(あいべつりく)、
求不得苦(ぐふとつく)、五うん盛苦(ごうんじょうく)
「おまえさんの悩みなど、どこにでもある月並みなものだよ」
33
本来の仏教では、死者の魂、あの世のことは一切説いてない
死んだ人の霊を供養しないと災いが起こるという見解はどこをひっくりかえしても出てこない
さまざまな悩みを抱えた現実を生きる生身の人間への教えだ
34
確かめられないことは語らない
35
仏教とは倫理や道徳を説法したのではなく、いま目の前の困難を解決する方法である
39
刹那生滅(せつなしょうめつ)、一刹那は1/75秒
過去に引きずられることなく自己解体し再構築する
44
色即是空
自分などというものはないんだよ 58 色=生身の人間 空である
167
空即是色
だから充実した今色を生きられる
46
禅門で人生の達人とはこだわらず捨てることのできる人(教養知識プライド)
49
捨てる修行をしてこい
53
挫折は捨てるための千載一遇のチャンス(大死底の人、却って活き来る)
57
愚(思い上がりを壊し赤ん坊のようなまっさらないのちに返る)
61
公案 合理的思想を壊しているので分析や比較では解けない
この茶碗から富士山を出してみよ 父母未生以前のおまえに会ってこい
旗がなびくのは風が動くのかそれとも旗が動くのか あなたのこころが動くのだ
76
諸行無常 すべては変移する 昔のことや昔の道徳を言っても意味ない
93
諸行無常
せまいなと遊び、ひろいなと仕事する 一喜一憂し笑ったり泣いたり
一瞬たりともとどまることなく生成変化し絶えず新しく生み出されていく現在進行形
諸法無我 すべては関係性において存在
83
仏道をならうといふは、自己をならふ也
仏教の真理は書物や誰かの思想、哲学のなかにあるのではなく自分の中にある
111
大乗仏教いのちのありかた十界
地獄(界) 餓鬼 畜生 阿修羅 人間 天 声聞 縁覚 菩薩 仏
137
般若心経とは釈尊の十大弟子の一人舎利子(シャーリプトラ)の問いに観自在菩薩が答えた説法
すべてのものは縁によって生じ縁によって滅びる永遠の道理
141
菩薩とは仏道修行者=人間 真理を悟れば仏、仏陀、成仏と言う
死んだ人を仏と呼ぶずれた誤用あるがその感覚でもよし
146
病や老いを人生を台無しにする邪魔ものとせずと尊い人生の本質と受け入れる
147
乗り越えるべき人生苦の激流を乗り越えた先にあるのが彼岸 (誤用)死んだ人が行くところ
自利(小乗=上座部、軽蔑響きあるため)、多くの人を助け一緒に彼岸に行こうと考える自他(大乗)
こちらの岸は此岸(しがん)
148
ぎゃーてい・・・ぼうじそわか
私も人もさとり彼岸に着いた 悟りの道は成就した
149
念仏往生の願 法然親鸞が帰依 この世に苦しむ者がいるうちは自分も救われようとは思わない宣言
他人のことを真っ先に考える きれいごとか 絵空事の建前通用しないと考えるのは
妄想(仏教では真実を見誤ること) 自分より他人など通用しない 人はエゴだと考えるのは
無我という真実を見誤っている
152
菩薩の心は自利自他(他人を利することが自分を利するようになる)
それでもまだきれいごとと感じられるなら「私が、私が」という自我意識のこころの迷いが真実を
見ることを邪魔している その自我を解体するのが釈尊の方法 解体=落ち目の自分か(勝一)
153
観自在=観世音=観音=相手と一つになり観察することで神でなく周りの人間と縁を通して来る
自分の心に観音を育てなければ相手に観音を見ることはできない
156
五うん皆空 色受想行識眼耳鼻舌身意色声香味触法
163
是諸法空相不生不滅不垢不浄不憎不減
無もそうだが不というたたみかける否定で真実を語ると強靭な肯定が見えてくる
悟ってみれば全て空だった 生も死もない 汚浄もない 増減もない
169
度一切苦厄
依然として辛いけれどもう縛られずに困難を渡っていける
苦の本質に徹して自由になれる
177
天女 美貌であっても表情のない苦を知らない白痴美人の表現
182
懈怠(けたい)の衆生のためには涅槃三祇にわたる
怠け者は心の安らぎの涅槃が得られない
自分が可愛いなら自分を壊しなさい
183
本を読んでわかったつもり私は知っているという思いは有害です
189
依般若波羅蜜多故心無罫げ無罫げ故無有恐怖
こころに妨げがなくなれば恐れもなくなる
190
随所に主となれば立処皆真なり
いまここに徹して生きていけば必ず真理があらわれる
遠離一切顛倒夢想究きょう涅槃
自分中心のものの見方を離れるとやすらぎの涅槃を生きられる
194
現在の自分と過去の自分を比較やめれば老化は感じない
196
増一阿含経に釈尊の言葉
私は人間に生まれ人間に長じ人間に仏(成仏)を得た
をさ・はるみ
私が私になるために 人生の失敗も必要でした ムダや苦心も骨折も悲しみも
すべて必要でした 私が私になれたいま みんなあなたのおかげです
恩人たちに手をあわせ ありがとうございます、 と独り言
203
仏道をならふといふことは自己をならふ也 自己をならふといふは、自己をわするヽなり
自己をわするヽといふは、万法に証せらるヽなり
204
(結)
いくつになっても人生は修行の場で一途にひたすら生きてほしいと、ただそれだけを
いいたくて長々と書いてしまった
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2003/01/01(水)曇り小雪
町石道を歩いて高野山奥之院に詣でようと、徳島市新町川河口乗り場01:10発の南海フェリーに乗船する(片道1730円)。
老朽船名「くまの」長さ88M幅16M排水量2137トン、4500PS×2ダイハツエンジンの振動がすごく寝られない。
(帰りの船「つるぎ」は新造船ですこぶる快適だった)
その昔は阪神と和歌山へは多数の航路があったが明石海峡大橋開通してからは南海フェリーのみとなった。
もうひとつ徳島から高野山までは高速バスで大阪難波まで出て南海電車で高野山駅(歩くならくどやま駅下車して慈尊院へ)まで行く方法もある。
03:10和歌山港着、ここから始発を待って南海電車の和歌山市駅へ、バスに乗換えJR和歌山駅と乗り継ぐが、30分ほど考えてJR和歌山駅まで
歩いていくことにする。前の道路を右に折れひたすら一直線に歩いて、和歌山城、レトルトな県庁横と洒落た歩道を行く。
閉じられた商店や会社の入り口には謹賀新年のポスターが貼ってあり、そうだ今日は新年ついたちなんだ正月なんだと足がかろやかになる。
6キロほどで5:05JR和歌山駅着、5:38始発の五条行きに乗り6:40高野口駅下車(650円)。駅を出てひたすら真っ直ぐ紀ノ川堤防に
突き当たるまで進むと川向こうの送電線と電波中継鉄塔のある山のふもとに慈尊院がある。
左折して堤防上を歩きくどやま橋を渡り、すぐ先の三叉路を右折して洒落た歩道を歩くとやがて7:30慈尊院である(約2キロ)。
慈尊院とは空海の母が住んだところであり、母に会いたいがため月に九度も高野山と往復したまさに空海の道である。
(甘えん坊おっさんの私にその体力があるのか今回試みたが、結果、私には月に九度の往復は無理と一回の登りのみで大師に惨敗)
慈尊院から高さ3メートルほどの卒塔婆と呼ばれる町石180基、さらに御廟まで36基が、1町(約109M)おきに立ち並んで
います。ですからこれを頼りに歩けば道には迷いません。180町は慈尊院内の石段脇にありカウントダウンしていきます。
高野街入口の大門の6町が事実上のゴールと思えました(以後は舗装された平地)。
お母さまにお参り後早速登り開始、180町と記念写真、最初のうちは次々と出てくる当時のままの町石をまじまじ眺めて
信心深い方のように拝んいたが、それでは歩行スピードが遅くなるので横目でチラッと見る程度にする。
印象に残った番町は、8:16柿の木風景160町、一緒に記念写真撮りたくなった157町、8:40きつい坂の連続終わった150町、
8:50ペア144町、9:25平地で歩き易く雰囲気のある山道が続く127町、なぜか昨夜の紅白での大きな古時計を繰り返し頭の中で歌い
歩行タイミングをとっていた。9:35二つ鳥居120町、9:50ゴルフ場横に出る、11:05ペアで72町と3里石。
KM表示の案内板は当然ないが、親切な町石道案内板や四国で大変お世話になった同じ赤矢印がありがたくある。
11:25矢立60町車道を横切る(公衆トイレあり)、150町以降ここまで起伏が少なかったがまた上りの連続となる。12:15再び40町車道横切るがもうキツイ。
12:35立派な杉林立の33町、クマ注意看板(ギョッ)、最後の上りとなり坂はたいしたことないのだがもう体力消耗しきって限界状態。
チョコレートやあめや水がほしいが食料一切準備していない。ここで追い越していった人は私より一時間後に慈尊院を出発した
そうで、町石道は素晴らしいでしょと力説してくれた。「何か甘いものあればいただけませんか」の甘え一言言えず。
その後1町の間に数回の休憩が何町も続き恐怖を感じる。休憩は座ると足がつりそうになるので立ち止まった歩行姿勢でとる。
もう段差も足があがらない。JR和歌山駅まで歩かなければよかった。前半休憩もとらず飛ばし過ぎた。
標高が上がってかなり寒くなった。汗かいたり乾いたりを繰り返して気分悪い。
27番神峰寺のときと同じだ。頭上で車の騒音がしているがなかなかたどりつけない。這い上がるように進むと13:50突然に感激の大門6町、上り終了、
観光客の目を気にすることなく車道に身体を横たえ最後のキツさを癒す。癒えるにつれ初めてのがむしゃら道に感激増幅する。
たっぷり車道休憩後に大門を迂回している車道を歩いて反対側からも大門を眺める。
あっ、大門をくぐっていないぞとうっかりミスに気付くが戻る余力もないのでそのまま高野の街に入っていく。初めての自販機で
熱々のカフェオレを一気飲みし、その先右側の土産物店で明治板チョコと森永ミルクキャラメルを買い食べながら
粉雪舞う伽藍を歩く。15:00奥の院前駐車場には正月観光客でいっぱいだ。お墓の展覧参道を相当歩き奥の院弘法大師御廟に着く。
脱帽、写真禁止。観光客団体添乗員の説明を遠耳にしながら、灯籠堂建物内正面、左手引き戸から灯籠堂建物裏へ行き総ヒノキ御廟前、
灯籠堂建物に戻り地下の最もお大師さんに近いところでと拝む。印象に残った添乗員の言葉「お大師さんは死んでいませんので
墓はありません、ここは廟であり墓参りではありませんので賑やかにお祭りをしてください、派手な格好振るまいでも構いません」。
15:55御廟橋横の納経所で平成拾五年壱月壱日の日付の入った墨書朱印をいただく(お姿はなく300円)。


納経が終わると交通機関OKの帰りモード。16:10駐車場発バスに乗り10分ほどで高野山駅着(400円)、16:59発ケーブルカー経由
南海JR兼用橋本駅着(所要時間40分810円)、JR乗換え19:18JR和歌山駅着(所要時間68分820円)、
駅前3番バス乗り場から南海電車和歌山市駅(230円)、和歌山港行き電車(150円)、21:20発徳島行き南海フェリー(1730円)、
帰宅時間までには足腰身体の状態はほぼ元に戻りましたが、長時間寒風の中での大きな息遣いのせいで喉が荒れているのか飲食すると焼けるように痛くなりました。
23:20徳島港着。23:40自宅着、32KM(万歩計未装着)、体重一時的2KG減。
※「高野山のお大師さんは金がなくても来いと私を呼んでくれているのだが、南海フェリーは金がないのなら
来るな」と冗談交じりに普段別居していて正月に遊びにきている母に話すと、母もこの歳まで高野山に
詣ってないので母の分まで頼むとお年玉援助してくれ力強い出発応援となった。車で30分の距離に住む母に月に九度どころか
年に3度ほどしか会いにいかない私だが、近年何かと援助してくれる母に感謝。昔の景気を取り戻して親孝行せないかん。合掌。
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2002/11/10(日)ぱれ(私の快晴造語)
石鎚山に登ろうと05:20自宅を愛車で出発。途中夜も明けた標高1122メートルの高越山を見ると異例に早い寒波のせいで、
八合目付近から上が雪化粧している。こりゃ標高1982メートルの石鎚山は雪山状態に違いないと遍路軽装のため予定変更する。
インターネットで情報収集していたので残念だが冬山は怖いし、若いとき2回登っているのでまたの機会にする。
変更先は、自宅でバナナの木の下でやぎを飼いたいとの気持ちが少しあるのでバナナ自生しているであろう南国高知の27番神峰寺
から28番大日寺までの暖かい太平洋沿いの遍路道31キロにする。くろしお鉄道野市駅前に駐車し08:54の真新しいディーゼル
カー列車に乗る。車内には外の景色を楽しむ観光客風のお客で賑やかだ。09:30唐浜駅着、36分で到着したこの線路に沿う
ように一日かけて歩き戻り始める。日頃の運動不足がたたり足が重いが見覚えのある景色の連続に元気をもらう。
安芸市を彼方に望む休憩所だ、なぎの木だ、安芸入り口の餌付け鯉がいる橋だ、自転車道だ、と天気の良い日に気分そう快で
歩ける健康な身体に感謝する。
前回は赤野休憩所から国道側を歩いたので、今回は琴ヶ浜側を歩いたが実に良かった。広い砂浜と広い太平洋と松林を抜ける静かな
雰囲気のある風景、子供のころ田舎でよく食べたぐみの実もたくさん自生していた。そして琴ヶ浜も終わり国道に合流しよう
かというところに「それ」は自生していた。子供のころは店で売っている手のひら状のバナナの集まりが一単位の実でなって
いると思っていたので、丸く何段にも重なる鈴なり状態は感激である。この下にやぎがいる風景を想像し、やぎのちちが飲め
たら最高だなと少し変な男になっていた。7月に開通したくろしお鉄道沿いを歩くので、駅ごとに新築トイレが利用できます。
くろしお鉄道高架の向こうに沈む夕日が今日一日を締めくくった。こんなに好きになった地元四国に、「都会の疲れた人々よ
遍路に来ませんか」と誘うより「移住して来ませんか」とトーンがあがりそうだ。18:40野市駅前着、31KM(歩数未計測)。
23:30自宅着、車サポート距離360KM、体重一時的に3KG減(ふだん肥っているのでこれくらい変動します)。

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2002/11/01(金)雨のち曇り
民宿金子や前から20番鶴林寺まで、よく整備された遍路山道を登り55分下り55分で往復した。
途中東京から来たと言う朝日新聞関連の20人ほどの団体さんを追い抜く。お話しでは主要遍路道は歩き、貸切バス移動と
併用しながら13泊14日で全行程まわるとのこと。納経所では、昨年より少し痩せられたかなと感じる住職と、「人生は路上にあり」
本の中の若かりし頃の姿と、鎌大師の話で盛り上がる。退職警察官のお伴で手束妙絹さんは今年もお参りにきてくれたそうだ。
標高の低いところの遍路道沿いには勝浦みかんが美味しそうに実ってました。これより前、今日は金子や泊りかなと思われる
夫婦らしき遍路と女性二人組遍路、そして単独男性遍路とも会いました。全員白装束に菅笠と金剛杖とスタイル決まってました。
しまった!、デジカメと万歩計忘れ。
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2002/06/30(日)小雨
お大師様に呼ばれたような気がして29日深夜23:50自宅出発し、日付変わって0:40に藤井寺着、暗闇の中の本堂と大師堂と
納経所(本日納経終了、当山では朝は7:30より納経の案内板)に挨拶し歩き出す。なぜ突然その気になったかというと、
ここ半月ぐらい運気が上向いているのは、勝手解釈かも知れないが修行のせいかなと思えるからである。01:05国道192号線
に合流しどんどん歩く。03:00番外2番童学寺着、往復2キロぐらい脇道に入った小高い山裾にあり、ここはお大師様が学ばれた
ところだ。竜宮城みたいな山門は夜は不気味である。犬に吠えられながらお参りを済ますが、当然納経所は閉まっている。
04:40上鮎喰橋、左手には中鮎喰橋、前方には眉山が白々見える。05:55JR徳島駅着、推定23KM(33000歩)。行きは長男に
頼み込み送ってもらい、帰りは妻に迎えに来てもらったので自分の車サポート距離は0KM。07:00自宅着、体重一時的に2KG減。
朝風呂に入り、この日記を書き、不眠で一日仕事をする。

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2002/06/23(日)晴れ
14:50分3番奥の院愛染院を訪れる。山道に入る手前で農作業をしていたiさんより「ハメに気いつけて行きなよ」と恐い話を
聞かされた。「5〜6年前に山道手前遍路道脇廃屋の人が噛まれて亡くなった」「バスガイドの女の人が用足しを山の中でした
とき噛まれ、用足しが恥ずかしく黙っていたため手遅れとなった」「30センチぐらいの細いハメは噛んでもチクッとするだけ
でたいしたことないと思ってしまう」「防御は下半身の肌を露出しなければ大丈夫」「私みたいに長靴を履きズボンの上に
ぼろジャージを重ね着すれば完璧」とのこと。トラウマ状態と狼少年状態になりながら歩く。愛染院を訪れていた地元のおば
さん達の話では「めったに噛まれへん」「オーバーな話で心配はいらん」「私らこの歳までみんなぴんぴんしている」「ハハハッ」
とのことだった。さて、刷毛(はけ)書梵字納経である。ぜひ見てみたいと申し出て刷毛が多数並ぶ納経現場に上がらせていただく。
日下智淳院主(89)は鮮やかに仕上げていく。地元のおばさんたちも交えて四国唯一を解説いただいた。また、10日ほど前に
鎌大師の手束妙絹庵主が3番に来られ、会いたいと迎えが来て一緒に食事したとのこと。境内で40分ほどお話を伺った。
幼い時は身体が非常に弱く、母が寺々をまわっては祈り、仕方のないことならお大師様のもとへ楽に行けるようにとも覚悟した
ようだった。5人兄弟の4番目で病弱だったのが一番長生きしていると、捨て犬だったおとなしい愛犬「りこ」と、贅沢な食べ物
しか食べない老猫(人間年齢100歳ぐらい)と暮らしている。30歳頃からここでの修行生活は生き字引であり発心の道場の名物院主だ。
不動明王の坐像は、ここと、高野山奥の院、成田山にしかないとのこと。お不動さんのみ許される護摩焚きは1/28と8/28の
大護摩と毎月21日に行われる。「足元が肝心」の板西城主赤沢信濃守を祭り、家内安全災難魔除交通安全下半身の病に霊験
あらたかです。山門天井画は重文級に私には見えました。


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2002/06/22(土)晴れ
21番太龍寺の舎心ヶ嶽のお大師さん抱きつきたくなり、横で一緒に修行してきました。
天気がよく紀伊水道越えで高野山まで見渡せました。
下り道のかわいい服着たお地蔵さんは昨年の赤色から着替えていました。
阿瀬比の交差点の遍路道沿いにあるへんろ小屋です(トイレはありません)。

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2002/06/16(日)晴れ
06:15徳島市の自宅出発。07:12前回歩き止めた切幡変電所交差点より歩き再開。車はご好意により八幡民宿うどん店
に置かせていただく。おなじみの善入寺島に入る潜水橋を渡り広々した北海道気分の景色を味わう。やがて再び潜水橋を渡り
国道192号線を横断し斜めに旧道へ入っていく。可憐に咲き競う道沿いの夏の花々には色気がある。09:18分11番藤井寺着。
打ち始めたお寺に無事また帰ってこられたお礼を述べ読経し、納経所でその旨を告げると住職夫妻より「徒歩遍路満願之登記」
を日付付きでいただき、おほめの言葉もいただく。一番嬉しい納経となった。とても気分がよくなり、09:40昨年遍路きっかけ
となった12番焼山寺までの遍路ころがしを歩くことにする。11:00長戸庵、12:05柳水庵、納経と昼食を取り12:35出発。
13:20一本杉庵、大きな杉の前でお大師さまは昨年と同じように迎えてくれた。15:00分12番焼山寺着。20KM(34000歩)。
四国を一周して足が出来ているのか、たくさんの汗はかいたが簡単に越せた。後で聞いた話だが宮崎健樹さん草刈奉仕団が
手入れされた後だったようで道は快適だった。ありがとうございます。



地元人間は何かと便利である。友人に焼山寺まで迎えに来てもらい柳水庵の前を通り川島に出て遍路道の潜水橋を渡る逆打ち
走をし車駐車場所に戻る。途中の峠から見た切幡寺まで見える善入寺島全景は絶景であった。クーラーのよく効いた八幡民宿
うどん店で駐車お礼のとんかつ定食をいただき、店主と遍路談義をし締めくくった。18:00自宅着、車サポート距離63KM、
体重一時的に3KG減。
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2002/06/02(日)晴れ
07:00徳島市の自宅出発。08:12前回結願し歩き止めた大窪寺に着。前回お接待いただいた八十八庵の
Sさんにお礼を述べ、出発の挨拶を大師堂で済ませ山門の階段を降りたところの店で生姜湯のお接待を
受けながら「この山門が1200年続く正門(せいもん)、あちらは西門(せいもん)」とお客争奪会話に思わず
笑ってしまった。前回気付かなかったが駐車場のある西側にもとても立派な新しい山門があるのである。
女体山を越えて来るとどちらの山門も通らず境内に入るため「女体山遍路道に疑問」との声もあるが、
こ理屈を避け、遍路が歩いて通れば遍路道が出来るということにする。08:40良い天気に恵まれ切幡寺に向け歩き再開。
振り返れば想い出の女体山連峰が見送ってくれている。09:30地蔵堂、その先に切幡寺16.8KMの遍路標識。
緩やかな下りの連続で久しぶりの歩き足は嬉しそうだ。10:20県道2号線分岐の公園(トイレあり)。
10:35徳島県川島町に入るところ右側に休憩所(トイレなし)。11:05大月橋渡ったところの岩野トンネル
手前にとても綺麗で清潔な公園(トイレあり)。12:00往復600メートルの左わき道に入った犬の墓に参り、
傍らの切幡寺63丁の古い石標に新道に直線分断された大師の歩いた旧遍路道を偲ぶ。
12:15オアシス24自販機コーナーの焼肉空海の店隣りにあるプレハブ休憩所で喉を潤す。真夏のような
日差しに腕はもう真っ赤だ。県道合流手前の久しぶりに見る左折遍路マークを見落としそうになる。
ガソリンスタンドを過ぎ上喜来橋(かみきらいばし)を渡ったところに切幡寺左折の歩きを迷わす公営標識が
あるがバイブル「四国遍路ひとり歩き同行二人」地図は直進だ。14:00分10番切幡寺着、私の四国遍路道の
輪がつながった。山門横の仮設売店のおねえさんはなんと一年前の私を覚えていてくれ、同じびわのお接待で
満願話しで盛り上がり、足指セパレートの靴下と名物ソーメンを買う。本堂と大師堂と幡切観音に再び帰って
来られた御礼を述べ、333石段に続いて大修復された重要文化財の大塔へと石段を上る。目の前には1番から
17番まで見渡せそうな吉野川平野と焼山の山々の想い出景色が広がる。14:50石段の托鉢僧に賽銭し出発。
15:25切幡変電所交差点にて打ち止め。22KM(37000歩)。私は最初に参った藤井寺をお礼参りの寺と決めているが、
間に合いそうにないので後日にする。その後の予定は徳島市まで歩き和歌山に渡り、町石道を歩いて高野山、
そしてラスベガス^^。


地元人間は何かと便利である。友人に切幡変電所まで迎えに来てもらい大窪寺まで送ってもらう。八十八庵で名物の
打ち込みうどんと少々のビールをいただき、Sさんにまたまた名物のこんにゃく田楽をおまけしていただき、しかも
お土産にこんにゃくと漬物のお接待をいただきました。ありがとうございました。
18:50自宅着、車サポート距離100KM、体重1KG減。
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■そしてその後
2002/03/25(月)
結願してから、ほっとしたのか寝る寝るいくらでも寝られます。身体は相当こたえたようです。
でも長かった10ヶ月の思い出が元気をくれます。お礼詣も残っているのだから栄養つけて頑張ります。
今も通し打ちや区切り打ちで頑張っている人がいるこの四国の地に住む私に終わりはありません。
これからも身体も心も四国を巡り続けます。
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■結願して
四国徳島に生まれ育ち住んでいる私としては衝撃の巡礼であった。
こんな近くに歴史あるお大師様の道が残っていたとは灯台元暗しであった。
徳島、高知、愛媛、香川と遍路道を歩いてみて四国全体が表現し難く説明できない
雰囲気と愛情の空間を持ち合わせていた。何のことを言っているのか私の遍路日記
から分からないかも知れないがあえて補足はしない。歩き始めればすぐに答えを
感じるだろう。特に人生に壁を感じた方にお勧めしたい。
遍路終盤にさしかかったころ、田舎に住む母は、
私がそんなに信心深いとは知らんかった、33年前に死んだじいちゃんも若いころ、
ぷいとよく歩き遍路に出て行ったのを憶えていると言う。私はその話しを詳しく聞きたいと言うと、
もう誰もじいちゃん遍路のこと知っている人はおらん、じいちゃんは信心深かったが、
母は信心する暇がなかったし、一生懸命働いて働いてやっと生活していくのが信心で修行だった。
これからも死ぬまで働いて働いてする、休息はあの世に行ってからすると続けて言った。
一人息子の私が頼りない証だ。頼りなく説得力に欠ける私だが結願したということでお聞き
いただきたい。
信心と修行は日常生活の中に存在する。四国に来て歩いて遍路するということは、
それまでの日常生活修行の点数を付けていると言える。また自分一代だけでなく
先祖の分も受け継いでいるかも知れない。
人は縁あってこの世に生まれ、縁あって同じ時代を一緒に生きるいろんな人と巡り合い、
縁あって苦楽を味わう。
お接待してくれる優しい人々は母に似て父に似て友人にも似た化身のお大師様である。
幾度もお大師様に出会い、自分の身体にお大師様を蓄積し、自分もお大師様を宿していく。
遍路中は時間がたくさんあるから、自分を見つめ直す絶好の機会となる。
四国を歩き、自分を見つめ直して加点し100点取って四国を後にされたい。
日常生活で100点を擦り減らせればまた四国を訪れるとよい。
四国の地は何千年経って来られても聖地のまま温かく待っている。
じいちゃんの遍路足跡が見られないのは残念だか、こうやって孫の私の遍路足跡を残せ、
皆様のなにかのお役にたてば嬉しい。この身尽きるまで南無大師遍照金剛。
(結願2002年3月17日)株勝へんろ。(後日、勝ぼうずに改名)
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