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■「発心の道場」阿波徳島編(打ち終わりました)
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2001/07/08(日)晴れ
朝7時06分、先週区切りの22番平等寺より歩き再開。先週のハードスケジュールがたたり足に違和感がある。
仕事中もよく眠気を感じる。身体はグロッキー状態だ。週末区切り打ちでこの状態だから通し打ちの方は
スーパーマンだ。7:56月夜御水庵、8:26鉦打橋、10:00星越茶屋(30分休憩)通過。鉦打橋までは雰囲気ある道。
月夜御水庵ではいわれのある水を頭皮につけ必死にお祈りする。星越茶屋ではおばさんと雑談。
私「どうして人は歳とるのだろう?」おばさん「後がつかえとるからよ」(悟)(笑)。
通過記録ノートに遍路の想いをしたためる。おっ次のおへんろさんが来店だ。宮崎建樹、ショーケンも立ち寄る店。
さて地元人間としては正月に必ずにわか信者になりすまし初詣に行く徳島県一の人気寺23番薬王寺。
1番から歩きつないで一ヶ月半でとうとう徳島最後まで来た。今日は少し胸にくるものがある。
参考にさせていただいてる数々の遍路体験文の結願のくだりの感動に近いものです。今日でこれですから
いつの日か結願したときは男大泣きしそうです。ごつい顔の男ながら、厳しい現実社会で純真無垢な生き方で
通したいと気持ちがつのります。結願したら御礼参りはきっかけ寺となった11番と12番、そして接待のお返し、
それと何故かごほうびにラスベガス行くぞと周りに言いふらしてます。おっと修行が足りないようですので
早速距離の長い修行の道場16ヶ寺にさらに遍路の魅力と修行を求めて計画します。徳島からの週末区切り打ち
しにくい寺もありそうですのでその時は連続打ちます。くしま大師
のたどった道と宿を見てまわるのも楽しみだ。
昼食は23番前レストラン橋本。バイキング形式だ。併設の無料善人宿はバス、ありがたい施設だ。
店主らしき人はさかんに前のホテル千羽の風呂は500円で値打ちあるからと薦めてくれた。
12:40 20.7KM(29000歩)
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2001/07/01(日)晴れ
朝5時20分、先週区切りの柳原バス停より歩き再開。私の独断で四国に梅雨明け宣言する。暑くなりそうだ。
今日は柳原バス停->3KM鶴林寺登り口(金子屋)->3.1KM鶴林寺->6.5KM大龍寺->6.7KM阿瀬比->5KM平等寺
の3つ山越え計24.3KMのハードなコースだ。20番鶴林寺は登り口より1時間15分で到着。納経所で住職
さんと雑談。宿坊維持は大変だと。IT上で朝のお勤め人気ですよと伝えるとITはやってないとのこと。
鶴と三重の塔が見事だ。21番大龍寺へは2時間20分で到着。蒸し暑さで一年分の汗が全て出た感じだ。
もう最後は階段の段差も足が上がらなかった。大きな金持ち寺だ。納経所横の天井には由緒ありそうな
龍が泳いでいた。両寺とも遍路道は完璧に整備され快適だった。山を下ってこじんまり綺麗な民宿龍山荘、
すぐ横の大きな坂口屋の前を右折して阿瀬比交差点の三菱GSでジュースを買って屋根下の日陰で飲もうと
すると商売の邪魔だから駄目と追い出される。怒りながらすぐ前の大根峠遍路道へ入っていく。
低い山だが3つ目なのでこたえた。21番から3時間5分で22番平等寺。ここの寺の洗面所で頭から顔を
思いっきり洗ったら気持ちのよかったこと。15:05(26000歩、山道では万歩計動かなかったかな)
タクシーを呼び帰宅。タクシー女性運転手話では22番さん88ヶ所寺で参拝者多く檀家を大事にしない
とのことだが真偽は不明。打ち増すにつれお経をまじめに唱えるためか最近朝目覚ましが頭の中で
お経が鳴っている。次回は徳島最後の23番薬王寺だ。55号国道行くか6KM長い海岸沿いの由岐木岐
コース行くか悩むなぁ。お大師様はどっちを通られたのだろう。
(広告)18番恩山寺ふもと民宿ちば08853-3-1508
2001/06/24(日)晴れ
朝6時45分、昨日区切りの阿波踊り会館より歩き再開。天気予報では本日晴れて暑いとのこと。
県道を南下し金ちゃんラーメン徳島製粉横通過、ブルー色の大きな建物の平成アメニティ老人保険
施設を過ぎ大松川橋を渡ると国道55号線になり少し行くと勝浦川橋でここまで2時間、暑くなって
きた。国道沿いをどんどん直線南下し続けるとやがて右折18番恩山寺の標識がありしばらくいくと
参道となり、おへんろさん人気の民宿ちばがあり、ひなびたを上回るぼろぼろの山門とびらんじゅ
の木が迎えてくれる。少し登って本堂、勝浦川橋から1時間半。昨日上鮎喰橋近くで足を引きずって歩いて
いた若い女性遍路さんに参道で会ったので話をする。一昨日11番から13番まで強行し痛めたとのこと。
私が2日かけたへんろころがし区間だ。3月末に退職し母に促されて通しで88ヶ所きているが
外国で3年一人で過ごした経験で一人歩きに不安はないとのこと。頼もしい。
一時間足らずで19番立江寺、先ほどとは違いぼろぼろ部分などない見るからに金持ち寺だ。
昼食は近所に一軒しかない食堂の「おおすみ」おばさんには悪いけど生まれて初めてのチラシ寿司
とうどんの味だった。昔を知る私としては、立江商店街よ昔の隆盛はどこ行ったのだと言いたい。
今日の目的地沼江に向かう。途中の櫛渕町はやまもも産地だ。無人販売所で買って食べる。
峠の産直売店でむぎ茶とたこ焼きの接待受ける。柳原のバス停に着きもう少し先まで歩こうかと
10秒も考えないうちに徳島駅行きのバスが来る。このタイミング良さはお大師さまがバスに乗れ
とのことかと疲れた体は勝手に反応し飛び乗っていた。14:45(35000歩)
次回はまた難所の20番21番越えだ。
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2001/06/23(土)雨
今日明日と連続打ちしようと自宅から車で13番まで戻り朝7時歩き再開。有名な「かどや」すぐ先の
へんろ道にそれ橋を渡り、天然石の階段が本堂に続く14番常楽寺へ。納経所のおばさん愛想なかった
原因は・・朝早かった、私が帽子を脱がず挨拶した、私がへんろらしい格好をしてなかった、
私が今日何人目と数字を聞いた・・まぁどれでもいいやと出ていくときは「お気をつけて」と
声がした。すぐ近くの15番国分寺見るからに古そう。近くの16番観音寺を経て遠足距離の17番井戸寺へ。
寿命が延びるという井戸にはちゃんと顔が映る。それをデジカメで撮るが真っ黒。
納経所では私の差し出すA4の上質コピー用紙に、どのように書けばいいのか前の寺の見本を見せて
と言われたので16番のを見せると「よしゃこれより上手に書いたる」とぴか一に出来あがった。
そして88枚集まれば屏風にすればよいとアドバイスくれる。88枚の真中には「わしが南無大師
遍照金剛と書いてやる」と約束する。忘れないでよとしっかり顔を覚えてもらう。17番まで来て
やっとそれまでのプリンタ出力般若心経から500円の全部入った仏前勤行法則を買い団体へんろ
さんとフルに唱える真似。少しへんろらしくなった。
13番から17番の5ヶ寺は近くに寄り添っている感じかな。
へんろ道が国道や県道で分断されつながりが分かりにくいと思ったところは16番1KMぐらい手前
と中鮎喰橋付近、そして佐古6番町付近から斜め右に入るところ。市街に遍路マークはほとんど
見かけないので地元の私でも迷うから県外おへんろさんは全て国道を歩いてしまうだろう。
別ルートの地蔵院経由18番恩山寺の徳島市市街地バイパス遍路マークが鮎喰バス停から見えた。
昼食は遍路道近くの蔵本ふじや。会計の時、目立つようにおへんろさん歓迎の看板出したらと
いうとにやにやされた。歩きへんろ相手は儲からない?。14時、眉山ロープウェイ乗り場の
阿波踊り会館到着(24000歩)。明日はここより。
車を置いた13番まで戻るため徳島駅から鮎喰バス停まで均一料金の200円で乗る。歩くと200円の
価値がよく分かる。なるほど市営バス事業赤字納得。その鮎喰バス停で国道のタクシーを拾って
13番に戻ろうと手をあげるが客乗車中で乗れない。そんな私の背後から「これこれおへんろさん」
と上品なお婆さんから声がかかり「タクシー会社が横にある」と教えられる。地元人の私大赤っ恥。
県外人を装いそそくさとタクシーに乗った。
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2001/06/17(日)晴れ
朝4時半に起き前回打ち止めた12番ふもとの鍋岩を8時15分に出発しすぐ横のへんろ道に入り
玉ヶ峠を目指す。峠には40分ほどで到着し庵と向かいの石仏にそれぞれひらがな棒読み般若心経を
唱える。下って下って阿川から駒坂流れ橋へ行く途中の集落のカーブミラーで容姿を整えていると
後ろから「綺麗になっとんな」と声がかかる。びわを収穫している男の人と奥さんそれに
お婆さん3人だ。家の前でびわ接待していただく。よくこの前をおへんろさんが通り接待するようだ。
玄関には接待したおへんろさんとの写真が飾られていた。リュックいっぱいのびわをいただき
手を合わせ出発した。広野そして13番に向かう。途中お遍路さんの団体バスや車から
度々こちらに向かって手を合わせてくれていたのでこちらからも手を合わせ返すことがあった。
沿道の多種類の季節の花や果実が歩きへんろをなごまし力づけてくれる。
今日の区切り打ち道中でへび三匹目撃した。15時30分大日寺到着(32000歩)。
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2001/06/10(日)晴れ
梅雨に入り晴れたので7番から11番まで打つ。8番熊谷寺の山門も境内も立派だ。境内でのかわら売り
のおばさんから逃れるよう後にした。各寺には胸にきゅっとくる言葉の書かれたお札
が貼り付けられているが9番山門のには涙した。たばこの葉が行儀良く前に習えと整列した
畑が多くあった。10番切幡寺本堂脇の美女観音像を見たかと境内露店のおばさんに帰り際言われる。
びわの接待を受けながら、お大師さまに寒いでしょうと布を差し上げそのお礼を翌年言おうとしたら
亡くなっていた。お大師さまはたいそう悲しまれ即身仏建立したとのこと。ちょっとあやふやな理解
だがその話を聞き観音像に行ってみるとそれはあまりにも美化されすぎかなと思うほどの8頭身美人であった。
10番から11番へは車遍路用県道をショートカットする車も通れる細い遍路道がある。
そのショートカットする入り口交差点の民家にはよく道を尋ねられるのか、お接待として郵便受けみたいな
箱にそれは便利な歩きへんろ用の手作り地図が置いてある。感謝。
昼食はその県道をショートカットするところのうどんやさんで冷やしうどんを食べる。
途中の善入寺島は広々北海道気分の見晴らしだ。潜水橋と感謝のへんろ道マークに並んで写真を撮る。
かなり歩いて最後は空海の竹藪というほんの少しの山道を通って11番藤井寺(でらと読むのは88ヶ所中
ここだけ)に着く。
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2001/06/03(日)晴れ
地元(徳島市川内町)の利を活かし四国八十八ヶ所の週末区切り打ち歩き遍路を始める。
今日は1番から7番まで打った。昔の遍路道を感じたのは3番から4番にかけての一部で、
県道から歩き専用の分岐にはへんろ石やへんろマークがあるが「えっこれが道?」と心細くなる
ほどの細いあぜ道である。それまでは広い舗装道路が当たり前だったので最初は歩きにくさを感じる。
そしてやぶ蚊やへびなどにおびえながらこわごわ歩く。やがておしゃれな家の軒先を通りやや広い
あぜ道となる。美味しそうなびわとももの木の中を抜けると4番大日寺である。本堂から大師堂への
廊下脇にはたくさんの立派な仏像があった。納経所で廃止された木版の話をすると「あれほど
手書きがいいと言っていたのが無くなると88ヶ所唯一だった木版がいいと言う、皆さん勝手ね」
なるほど人間は無いものねだりするんだ。5番地蔵寺は五百羅漢を通り裏から入る。その五百羅漢を
拝観料200円支払ってぐるっとまわったが正直なんともきもちわるかった。
6番安楽寺はしっかり(何を)やってるなと感じた。7番十楽寺はすぐそこである。
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2001/05/20(日)晴れ
4月19日の徳島新聞に鴨島町神山町市場町主催の「大師の足跡たどろう」「最後まで残った空海の道」
ウォーク募集記事を読み
当時そのまま残ったへんろ道にひかれ、11番から長戸庵、柳水庵、一本杉庵経由12番そして
杖杉庵、鍋岩まで忠実に昔のへんろ道を他400人の参加者とともに15.6KMを6時間で歩いた。
幅の狭い切り立った尾根道や杉林はとても気持ちよく、へんろころがしと呼ばれる急坂では
たまらず立ち止まり「どうしてこんな苦しいことするんだろう」とつぶやくと休憩中の人から
「らくを知るためよ」と答えが返ってきました。下り坂では足がつってしまい、翌日から5日
ぐらい歩行困難な状態が続きました。ニ度とこんなことするものかと思っていた気持ちが
足の痛さが回復するにつれどういう訳か素晴らしい体験をしたという感動と少し悟ったかな
という気持ちに変わっていきました。そしてその後の情報で11番から12番が歩けたら88ヶ所
歩きは大丈夫と聞き発心する。
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